在家信仰のあり方

そして、今回の項で特に考えておかねばならないことがあります。それは、教団施設の奉仕についてです。ここでは清掃奉仕ということについて触れておきます。

奉仕という意味合いも少し受け取り方が変わってまいります。もちろん、自らの有する時間や身体を神様のために捧げ、奉仕する取り組みは大きな徳積みの一つです。そしてその結集が、御神業推進を支えております。大変尊いことです。

ところが、奉仕は徳積みに止まらず、また御用奉仕の意義として説かれたことに止まらず、取り組む者自身にとって大きな利益となるのです。

教団施設は小規模ながら「地上天国の雛型」を目指しております。美の象徴的なところを目指しておりますから、そこで奉仕することは清掃の練習を重ねていることになり、清掃全般の在り方を身に付けていることにもなります。学んだことを家庭や職場、地域で実践してゆく―それが信仰生活であり、天国化の具体的取り組みの一つになるのです。

教団施設などで清掃奉仕に取り組む場合、このことが根底になくてはなりません。当然教団施設では誰でもが清掃奉仕できるように、清掃用具などは誰でも扱えるように判り易く整備されています。すすんで奉仕させていただく、ということが前提となっているからです。家庭でもどこでも同じことが言えます。

また、整った施設の奉仕は取り組めば取り組むほど気持ちのよいものです。大勢の力で取り組んでおりますので、美化のスピ-ドも格段に早まります。役割を持って行なうので、‘遣り甲斐’というものも生まれ、充足感も湧きます。

そうすると、仮に家庭で問題を抱えていると、その奉仕にのめり込むことが起きることもあります。これは熱心な信者さんに当てはまることですが、現実から逃避することになってしまうことがあります。真面目であればあるほど、そうしたことも起き得るということを老婆心ながら付け加えておきます。しかし逃避してしまうと現実の問題は解決致しません。

奉仕には様々な意味合いがあることを承知して、教団施設での清掃奉仕は‘練習の場’であるという面も加わっており、実践は家庭や職場、居住地域で行なう、という姿勢が大切であるということを心得ておきたいものです。これが在家信仰の基本なのです。

平成18年4月メシヤ講座より

 

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