体験記に学ぶ③

『御守護の前渡しと精神のバネ』

大分県日田市  久民広喜

自分のこれから先のことをジックリと考える時間

前回の体験記で隔離された環境で数ヶ月を過ごしたことに触れました。その原因は自分の考え方が幼稚であったからに外なりません。自分の置かれている状況から逃げ出したいがために、愚かなことをしてしまいました。

親や可愛い子供、そして弟や妹のことなど何も考えておりませんでした。自分の行動が周囲の人々にどのような影響を与えるかなど、全く考えずにとった行動でした。いえ、考えずにではなく、考えることができなかったのです。その時残った傷を見ると、自分のやってしまったことを昨日のように思い出します。

一般社会で生活ができるようになり、楳木先生に今こうして面談を続けていただいているお蔭で、その行動それ自体も全て神様、ご先祖が‘このままでは一生立ち直ることができない’ということで、立ち直るためには隔離された場所で自分のこれから先のことをジックリと考える時間を与えてくださったのではないか、と最近思うようになってきました。

過去の自分であれば、全てを人のせいにして「自分は被害者の立場にあるのだ」と自分を美化するだけで、自分を振り返り、反省することなどできませんでした。過去何か問題を起こすたびに「自分は悪くない。親や弟、妹がうるさく言うのが悪いのだ」と思っていました。それらが全く間違っていたことのも気付きました。

自分の考え方が全て幼稚だったのです。「どういう結果を生むかというところまで考えが及ばないで行動してしまうということは、幼稚であると共に依存心の裏返しである」ということを楳木先生に教えていただき、最近‘なるほど’と受け止めることができるようになりました。まったく面談を継続していただいているお蔭です。感謝しております。

また、言われても言われても同じ過ちを繰り返す癖、それは心の底に根深く染み付いたものです。周囲の人がいくら指導やアドバイスをしてくれても本人の精神が強くならなくては取り除くことができない、とつくずく感じます。

毎日、清掃に励み、どんなに疲れていようとも片づけをして、ノ-トに学びや反省を記入してから休むということが、実は「精神のバネ」を鍛えることだ、と楳木先生から解説していただいておりましたが、最近やっと解ってきたように思います。それは仕事の面で顕著に現れている、と思います。

マイナスからの出発という肚積もり

一般社会で生活するようになり、自分の中で‘本当に仕事に就けるのだろうか?’と不安な気持ちになるばかりでした。周囲の人は、口では「頑張りなさい」と励ましてくれるが、‘本当にそう思ってくれているのだろうか’と悪い方へ考えてしまうようになりました。

当然のことながら、現実は厳しいものでした。就職活動を始めて数社の面接を受け、自分の中では‘ここは大丈夫だ’と思っても不採用の通知が来ました。その時は‘どうして?’と思うだけで、何も考えることができませんでした。今振り返ると、考える力がなかった、と素直に感じます。そして自分がやってしまったことが如何に重大なことであったかを改めて感じました。

気持ちを絶えず切り替えることができたのは、何も知らずに明るく過ごす子供のお蔭でした。そして、楳木先生からは「落ちるところまで落ちたのだから、マイナスからの出発という肚積もりを持ちなさい。そして後は上を目指すだけだ」と、言い続けられました。

そんなこともあって、今の会社に採用された時は、自分でも本当に驚きました。社長は自分の過去、そして今置かれている立場を知った上で採用してくれたのです。そして逆に、これから先の自分に期待してくれました。

この時も、楳木先生は「自分一人の力でこうなったのではない。神様、ご先祖様のお導きのお蔭であることを忘れてはいけない」と諭してくださいました。自分もその通りだと思いました。

耳を疑うような役職を任ぜられる

就職が決まったことに自分自身驚いたのに、1年後さらに信じられないことがありました。現場のサブリ-ダ-を任ぜられたのです。作業の段取りや指示も任せられるようになりました。立場が変わることにより経験のない問題や悩み事が増えてきました。

部下の育て方、作業効率の上げ方、自分では判っているつもりでも、現実問題になると全く解決することはできませんでした。楳木先生からアドバイスをいただき、それを会社で実行することにしました。自分が入社した時よりは少しずつではありますが、社内が変わっていることを感じるようになりました。

他の宗教では決して教えていただけないことをメシヤ教、そして楳木先生との面談を通して教えていただいたと思っています。自分の中で、‘素晴らしい’と正直に思えるようになったのは約9ヶ月前のことです。

昨年の8月に管理という立場を任ぜられました。社長から「新しい風を吹き込んで、会社を変えて欲しい」と言われた時は、耳を疑いました。そして、自分にできるか不安でした。しかし‘楳木先生に相談すれば大丈夫だ’‘これも自分が進む道だ’と思えて、不安な気持ちもなくなりました。

一つひとつ丁寧に取り組むことにより、過去の仕事よりも遣り甲斐というものを感じるようになりました。また、目標を持ち取り組むことの大切さも痛感しております。目標が高ければ時間は掛かるが、努力すれば必ず何時か実現する。そう思いながら毎日を過ごしております。

今年になってから、さらに忙しい日が続いていますが、このように仕事が順調に行き残業ができるのも、父や妹夫婦の助けがあるからだと思います。かつて‘口うるさい’と思ってしまった時もありましたが、決して自分一人の力では今の立場を与えてもらうことにはならなかったでしょう。本当に感謝しています。

これから取り組むべきこと

これから自分のやらなければならないことは、今まで継続してきた課題はもちろんですが、さらには御神業です。過去妹を通して楳木先生にご縁をいただいた人の中で、私の行動で遠ざかった人がいます。その人達に今日までの私がいただいた御守護を報告して、再びご縁を繋いでいただくということです。

その方々は私の親戚筋に当たり、私の家の内情や私の行動をつぶさに見てきています。それ故に、再びご縁をいただくことは至難なことだと考えられます。そのために今自分がやらなければならないことは、口先だけで奇麗事を並べても通用しない、自分が面談を通して本当に生まれ変わった姿を見ていただく以外にはありません。

実現するかどうか、実現するにしても時間が掛かるか否かは、自分の努力次第だと思います。面談に対して真剣に取り組むようになって少しずつ変わってきていると感じるようになった今、その成長のスピ-ドを加速させ、早めに年相応の考え方ができる人間になり、離れた人達を呼び戻したいと願っております。

宗教に対して信じる気持ちなど全くなかった自分の気持ちを変えたのは、メシヤ教の教えと力の凄さではないかと思えるようになりました。また、面談を通して生活面、仕事の面においてここまで細かく指導をしていただける宗教はないと思います。自分を成長させるには、変える強い意志を持ち、継続させていくことが大切だと学びました。

楳木先生から「体験記を書いてみよう」と言われた時は、‘今の自分はまだ成長できていない。無理だ’と思いましたが、書かせていただいて判ったことは‘成長したからではなくて、学びを整理するため’ということです。

過去を振り返り反省することの大切さがあります。そして反省するだけでなく、同じ事を繰り返さないためには何をしていけばよいのか考えなければなりません。考えるということは、具体的に事例を上げて実行に移さなければなりません。

自分はまだまだ観念的な抽象的な学びの域を出ていない面が多々ある、ということです。「具体性がなければ、本当に考えたことにはならない」と常日頃から指摘されていましたが、そのことを体験記を通してさらに理解でき、肚に落ちた感があります。ありがとうございました。

≪学び≫

御守護の前渡しの意味

『毒と神様は舐(な)めたらいかん』ということに気付いた時点で、神様のことが少し判ったと言えます。久民さんに信仰が芽生え始めたのも、そうした経緯を経てのことです。そして、本気で手を合わせるようになってまいります。

就職のことを祈った時に、御守護の前渡しのような形で仕事が見つかります。何故‘前渡し’という言い方をするかと申しますと、神様は人間に幸せになってもらいたい訳ですし、進歩向上をしてもらいたい訳ですから、職場を与えることが本当の意味での御守護ではないのです。

大切なことは仕事をしっかりやり、自分づくり(人格形成)もしっかりやる、ということなのです。そのために相応した場を提供してくださったのです。また、『この方向で歩んでゆけば間違いない』という方向性を示してくださったのです。

そして、その道をしっかり歩むか歩まないかは本人次第なのです。

よく縁結びの祈願をしますが、祈願すると必ず出会いがあります。ところが、出会いに気付かなかったり、何らかの理由をつけて結ばれない場合があります。これは祈願者にその気がないのです。

どこまでも本人の決心が重要なのです。また、決心がなければ知恵も出てきません。後でも触れますが、決心が弱いと、考えたつもりでも具体的な考えが出てこないのです。

精神のバネ

さて、歩み始める時に大切なことは、精神のバネが強いか弱いかということになります。久民さんは、約束したこと、設定した課題を不定期ながら継続してきていました。そこで、曲がりなりにも精神のバネは鍛えられてきました。

毎日、出勤する前に決めたことをやる。また、帰宅したらどんなに疲れていようとも、その日のうちにやるべきことを必ずやる。片付けをし、学びや反省、感謝をノ-トに記入するということです。この積み重ねは精神のバネを鍛えます。鍛えられたバネを持っていますと、少々なことが壁となって立ちはだかってもへこたれませんし、逃げません。

また、面談を通して、自らの陥りやすい‘勘違い’や‘取り違い’がおぼろげながらも把握でき始めました。一つひとつ指摘され続けたので、本人には辛いことだったでしょうが、自分の特性や弱点が明確に判ってまいります。

そうしたことが明確になりますと、本当の意味で‘自分づくり’の出発点に立てたことになります。そして、それらの成果が初めて職場で活かされることになります。最も顕著に現れたのは、社長の話す様々な内容を理解できるところまで、総合的に何とか成長できていたということです。それ故に大抜擢があったのです。

それがご自身述懐されていた「相談すれば大丈夫」ということに繋がります。信仰は「安心立命」の世界である、というところへ入ることができたのです。しかし、これはあくまで入り口に立てたということです。これからの引き続いた努力が大切です。

体験記に「マイナスからの出発」という表現がありましたが、この段階で「マイナス」から「ゼロ」になったと言えるでしょう。ここからやっと、「プラス」を積み上げてゆくことになります。

体験記を書く意義

この度、体験記を書いていただいた理由もそこにある訳で、入り口に立てた時点での学びを明確にして、これから歩むべき方向をしっかりと定めておいていただきたいからです。

耳障りのよい表現ができたとしても、具体性に乏しいものは「理解できていない」ことに等しいし、それでは勿体ない訳です。具体的に事例を挙げて整理してゆかねば、本当の御守護は何なのか、人としての成長は何なのか、学びは何なのか、ということが見えてまいりません。見えてきませんと、魂の進歩向上に繋がらないのです。

人間は勘違いをしたり、取り違いをしたり、慢心したりしてしまうことがあります。自分では気付かなかったことが、体験記を書かせていただくことで浮き彫りにされることがあります。大変有り難い作業なのです。

久民さんは努力はしているけれども、今日までできてきたことと、生活の中で疎かにしてきたことがあります。疎かにしてきたことは、将来において新たな問題の火種になるかもしれません。しかし振り返る心を持ち、間違いを修正する意志の強さがあれば、容易に乗り越えることができます。

決心の強さが問われます。決心が弱いと「気付き」ありません。また知恵が湧いてまいりません。すると表現が抽象的観念的になってしまいます。どこまでも具体的でなければ、問題に対処することができないのです。

また、問題解決できつつある現在ではありますが、精神の癖を来世に引きずらないように、更には子孫への因縁とならないように、一層の向上を目指して、学びと実践を積み重ねられることを願っております。そういう意味では、今やっと人生設計のスタ-トラインに立ったところだという自覚を持って、神様へ真向かって、自分の意志で学びを重ねるように努めていただくように祈っております。

 

平成18年4月メシヤ講座より

 

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