『ちょっとした言葉の中の宝』の項
私達は少しでも向上を許されたいと願っております。『信仰の基準は智慧と誠です』と御教えいただいていますように、向上の眼目の一つには智慧証覚を磨くということが挙げられます。
私達が覚りを開く道としては、山陰に身を置き俗世と隔たりをもって生活を続けるか、雑踏の四囲に身を投げ入れ人々の苦しみに対峙しながら生活するか、のいずれかであります。
前者は非常に清らかな世界でありますが、反面主神様のご経綸とは離れた場所に身を置くことになります。後者はご経綸の真っ只中であり、破壊と建設の同時進行で進む世界に身を置くことになります。良くも悪くも人々の人生に関わり、そのことを通してご神意を解し、覚りを重ねます。
メシヤ教の御神業は後者によるところが大きい訳ですが、それだけに画一的な捉え方や決まり文句で物事を把握していると、思わぬ取り違いを起こしてしまうこともあります。
≪本文≫
昭和十四年末、おそばにお使いいただけるようになりましてから、まもないころと存じますが、明主様(メシヤ様)から、ご浄霊をいただきます折、明主様(メシヤ様)は、『あなたはいつごろ盲腸の手術をしました?』とおききになりました。
それで私が、「はい、今年の二月でございます」と申し上げると、明主様(メシヤ様)は『ハハア、そうすると、あと十三年ぐらいか、あるいはそれまでもたないかも知れないね。ハハ・・・・・』とお笑いになりながらおっしゃいました。
私はこのお言葉を何心(なにごころ)なくお聞きして、今日まですごさせていただきました。いまにして思えば、まことに申しわけないことですが、私は神様のお言葉を軽(かろ)んじておりました。明主様(メシヤ様)は常々、『私がちょっと言った言葉の中に、実は大切なことがあるんですよ』とおっしゃっておられました。そのご注意を、私は忘れてすごしてきたのです。
以来十三年、数々のご浄化をいただきましたが、そのたびごとに目のさめるような御守護の奇蹟で、いつもそれを易々(やすやす)と乗越えさせていただき、また、今年の初めより盲腸手術(もうちょうしゅじゅつ)のあとが赤く腫(は)れ出し、大形のお湯呑茶碗(ゆのみぢゃわん)ぐらいになり、その痛みはとても激しく、夜も眠れず、起居(ききょ)も出来なくなってしまいましたが、ご浄霊いただき、その後まもなく、濃(こ)い糊(のり)のような膿(うみ)をお碗(わん)に一、二杯ぐらい出させていただき、手術痕(あと)の深い傷口(長さ約三センチ、深さ一センチほど)も浅くなり、ほとんど平らに、きれいに全快させていただきました。
顧(かえり)みすれば、手術後ちょうど十三年目の月も日も同じ時(昭和二十七年二月十一日)にいただいたこの御守護です。もし、このお道を知らなければ、十三年前のお言葉のごとく、私の生命(いのち)はこの時あるいはそれ以前になくなっていたことと思い、明主様(メシヤ様)のお言葉は御神示(ごしんじ)であり、絶対に間違いないということを、心の底から思うようにならせていただきました。(布教師)
≪解説≫
この一文を読ませていただいて、羨ましく感じられたのではないでしょうか。直接メシヤ様から浄霊をいただけるなんて、羨ましい限りですね。しかし、今となっては適わぬことなので、何とか学びに繋げねばなりません。
まず、御守護のいただきやすい浄霊の受け方です。この文章を記述した方がいただいた御守護のように。誰からいただくにしても、メシヤ様から直にいただくような想念を持つことが大切です。これが欠かせない想念です。
そして次は、御教えの拝読を普段に積み重ねるということです。御教え拝読を重ねてまいりますと、この一文に対して‘何故ご質問をしなかったのか’という思いがむくむくと湧いてまいります。
『あと十三年ぐらいか』というお言葉の意味
『・・・あと十三年ぐらいか・・・』というお言葉の意味を、その場でお尋ねしてほしかったですね。そうしていただいておけば、「・・・十三年前のお言葉のごとく、私の生命はこの時あるいはそれ以前になくなっていたことと思い、・・・」という表記が微妙に変っていたと思われます。
何故なら、メシヤ様は盲腸の手術に限定してお言葉を下さったのですから、しかも『ハハ・・・・・』とお笑いになられたのですから、命に関わるということではない、と受け止めることができます。
ではどういうことなのでしょうか。盲腸の手術について考えられることは、その時点で使用した薬毒が推測されます。
膿が出た後の傷口の変化から判ること
だからこそ、十三年後に手術痕が腫れ始めるという浄化をいただいたのです。しかも、浄霊をいただくことにより、「濃い糊のような膿をお碗に一、二杯ぐらい出させていただき、手術痕の深い傷口も浅くなり、ほとんど平らに、きれいに・・・」という結果をいただかれたのです。
手術時の薬毒が排泄され、深さ一センチもあった傷口がほとんど平らになったのです。何と素晴しい浄化作用でしょうか。浄化は救いであるという見本のようなものです。
メシヤ様が他の宗教教祖を寄せ付けないほどに遥かに卓越された判釈(はんじゃく)をもたれたところです。そして私達はその恩恵にあずかっております。しかも、救いの教えを説かれただけではなく、救いの力を授けてくださっているのです。この上なく有り難いところです。
また、この方は浄化の際の痛みについて「その痛みはとても激しく、夜も眠れず、・・・」と記述しております。
薬の種類によって痛み方に違いがあることは、御教えに具体的に説かれてある通りです。浄化作用の在り方に確信を深め、さらに御神業に邁進する意欲が増した、というようにまとめていただきたかったですね。
『世界に知らせよ薬禍薬害』
この方の上司も、浄化を通して『薬禍薬害』のアドバイスを行なっていただきたかったですね。前述のようにメシヤ様は、盲腸の手術に対してお言葉を下さったのですから、「そこを基点にして『十三年』ということを受け止めてはどうか」というアドバイスです。
もっとも、教団役員の意識が薄れていったことも事実で、かつての所属教団の教団紛争(昭和59年~)の折に、役員会の会議後のゴミ箱に無数の薬の包み紙が捨てられていたことがあり、それを見た女子職員が教団改革に参画した、という逸話があります。今は、当教団はもっと悲惨な状況になっているようです。
この執筆者は布教師ですので、さぞ相当な徳積みを重ねられたことと推察できます。徳積みを重ねても薬毒からは免れ得ない面がある、ということを心得ておかねばなりません。御教えに『薬毒五十年』とありますように、メシヤ様という超人的に使命を果たされた方でも、免れ得ることのできないものが薬毒なのです。
そのことを私達は肝に銘じなくてはなりません。
そして、薬毒について思い出される内容は『世界に知らせよ薬禍薬害』の項です。この中で、メシヤ様は『全世界の人に、薬禍、薬害ということを知らせれば、世界が救われるのですよ。人類を救うということは、ただこの一点にあるのですよ』と述べられています。