世界救世(メシヤ)教とは
<世界救世(メシヤ)教 教義>
「世界救世(メシヤ)教 教義」をトータルで理解していただいた後、自分に置き換えた場合にどのように読むことができるか、ということになる。
ここで例題を示すので、臨機応変に活用して考えてみていただきたい。
<抑々(そもそも)世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、この地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行わせ給いつつある事を吾等は信ずるのである>
この部分を「そもそも我が家の先祖は」としたり「私の夫は」と置き換えてみると、「そもそも我が家の先祖は我が家を天国にするように・・・・・」とすることができる。また、「私の夫は結婚当初より我が家を天国にするように・・・・・」とすることもできる。
もちろん妻であっても、両親であっても、子供であっても、ご自分であっても結構である。
ここでは「私の夫は」として、各文章を当てはめてみると、まず「そもそも私の夫は、我が家を天国にするために私と結婚した当初から生活しつつあることを私は信ずるのである」と、することができる。
そのことを信じて結婚もしたのであるし、夫婦生活を営んできたのである。いかがだろうか。
<これに対して人間を神の代行者とされ給うと共に、一切万有は人間の為に造られたものである>
そうすると、「これに対して私を夫の代行者とすると共に、家事一切は代行者たる私のために用意されたものである」と続く。
煩雑な家事も雑務も全て「我が家を天国にする」ためにこなすのである、と受け止めているのである。
<故に今日までの人類史はその為の準備工作に外ならない事を信ずるのである>
「故に、今日までの夫婦の道のりも、結局は天国を造るための準備工作であった、と信じている」
それまで幸福感に満たされていたか、あるいは苦労の連続であったか、いずれにせよ「我が家を天国にする」ための準備段階であったのである。そのように受け止めている。
<従って、神はその時代時代に必要なる人間と、必要なる宗教を顕(あら)わし給い、それぞれの使命を遂行させ給うのである>
「従って、主人と共に子供を儲けて、共に人生の指針を得て生活してきた」
そうであるからこそ、「我が家を天国にする」ために、必要なる子供も許されたのである。しかもそれぞれの使命をいただいているので、時には親の言いなりにはならない場合もある、と考えることができるというような受け止め方になる。
また、ご近所の方も姑などもそれぞれ使命を持って存在している。皆役割を持って生活しているのである。
<後半 ― 信仰に出会った意義>
こうした受け止め方の上に後半を拝読すると、「我が家を天国にする」ためにメシヤ様とご縁をいただいた、という入信の意義がより明確になる。
つまり、まとめは「メシヤ様とご縁をいただくことで私が我が家の救世主となり、我が家を天国にするために精進邁進することを決心している」ということになる。
入信動機は様々ではあるが、また複雑多義に渉る背景がお互いにはあるが、「我が家を天国にする準備段階を経て来たからこそ、メシヤ様に出会うことが許されたのである」という認識を共有したい。
我が家の救世主となるためには、メシヤ様の御姿を鑑として追体験するように心掛けることが必要である。そのために、第三講のテーマはメシヤ様である。さらに学びを深めたい。
お世話とは、メシヤ様の愛に包まれていただくことである。それを可能にする重要課題は、御教えを自らに置き換えて拝読する、という姿勢を共に持つことである。重ねて肝に銘じていただきたい。