生活に更に浸潤している「薬毒」

さて、こうした社会情勢の変化の中で各家庭の教育方針も変貌し、その原因に拝金主義がある、というところまで先程お話いたしましたが、更に進んで教育問題の根幹になっているものが三浦智子さんの報告に深く関わっています。

中村さんと三浦さんに共通している、メシヤ様の御力を賜わっていただいた安心立命の生活は、何の説明も加える必要がありません。ありのままを受け止めさせていただけば、それでよろしいと思います。ここでは私達が留意しておきたいところをピックアップいたします。

深く関わっているものは何かと言いますと、「薬毒」です。この「薬毒」の起こしている問題というものは、皆さん方が気付かないところでジワリジワリと生活に浸潤しております。

私達の周りには、所謂除菌グッズだらけです。また、かつては体臭などは香水類でカバーしていましたが、今は消臭○○で対処しています。これらにより清潔感に満たされているように思わされていますが、過度の清潔感は、実は霊憑り状態と言えるのです。一般的に判断する霊憑りの見極め方がありますので、本日ご参拝の方にだけお教えしておきます。(具体的記述は割愛)

薬毒が様々な問題を生んでおります。中村さんは「むしろ薬が回復を遅らせる」と述べましたが、まったくその通りです。また、三浦さんの取り組みが大変参考になります。

まず、人間が死の淵に立って絶望感に苛(さいな)まれた時に、生きる力を与えてくれたのは自然の恵みであったということです。大腸ガンの術後の絶望感に陥っていた叔父さんは、ある日昇り来る朝日を眼にした瞬間に“誰にでも分け隔てなく太陽が照らしてくれている、もったいないことだなあ”という思いが込み上げてきたそうです。そして、顔を洗うために蛇口を捻(ひね)った時に出てきた水を見た瞬間“もったいないことだ”と思ったそうです。それから一挙に死の淵から生還したそうです。

医者も実はダメだと思っていたらしく、後で「医者仲間の勉強会で、どのようにして回復したのか説明してほしい」と依頼されたそうです。しかし叔父さんは、「太陽の光と水が生きる力をくれた」としか言いようがなかったそうです。そこには薬も特別な療法もなかったのです。自然に対する感謝の心がそうさせたのです。

それから次に、三浦さんのご主人が叔父さんに対して「薬は毒だ」と言い続けることで、「そうかも知れないなあ」と考えるようになったそうです。そして少しずつ実践に移しました。

メシヤ様の信者ではなく、洗礼を受けている方なのですが、薬毒論だけは実行に移したということです。三浦さんは優しく表現したのですが、三浦さんが神慈秀明会時代に駅前などで浄霊実践していると、この叔父さんが「そんな非常識なことは止めろ」と活動を止めに来たそうで、そのような人なのです。

「三浦さん夫婦が駆り立てられていた異常とも言える布教姿勢に異議を唱えていたのに、何故メシヤ教の月次祭へ参拝するようになったのですか」と、私は尋ねたことがあります。「神慈秀明会を辞めることができたから」という返事でした。深い意味を有しております。

三浦さんのご主人から聞かされる御教えの内容には違和感を感じていなかったということです。神慈秀明会のあり方に違和感、いや嫌悪感を持っていたのです。それだからこそ、メシヤ様の御教えに基づく本来の勉強会というものに心惹かれるのです。今は、継続して月次祭にご参拝しています。古くからの信者さんのように、穏やかで清々しい表情で祭典に臨んでいます。

平成19年12月メシヤ講座より

 

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