自分自身の姿勢が御神業の要
そうすると、このことで私達がもう一つの学びとして心に留めておきたいことは、早くからメシヤ様にご神縁をいただいた人はそれ自体素晴らしいことなのですが、私達自身の姿勢が本来の歩みとなり、御教えで示された高い境地へ進んでゆくと、御教えを求める魂の持主が繋がってくるということです。
ですから、私達が進めさせていただいている御神業の中で大切なことは、相手ではなく自分なのだ、ということです。世の中の動きは御教えを求めています。私達が既成概念化してしまっているところから脱皮し、メシヤ様のご神格を再認識し、メシヤ様へ太く繋がってゆきさえすれば良い、ということなのです。
これはお二人が触れた浄霊の奇蹟についても同じことが言えます。取り分け三浦さんの話の中では、神慈秀明会の浄霊の仕方が如何にもったいない状態になっているか、ということが判ります。極々当たり前の仕方で浄霊をさせていただけば、これ程の御守護に満ち溢れた生活を送ることができるのです。
皆さん方とよく話題に上りますのは、神慈秀明会と天聖真美会は純粋な人が多いので、本来の浄霊の仕方を教えて上げたなら随分と救われる人が増えるのではないか、ということです。純粋だが、メシヤ様の示された本来のあり方を教えられていないことが残念でなりません。
そういう意味では、更に救いの手を差し伸べてゆかねばならないと思わされます。それが平成19年の総括で心に留まるものの内の一事です。それを含めて、本日取り上げた事例を総体として捉えるならば、ある少数の思惑によって庶民は奴隷化されているのであります。地上天国を建設するためには、庶民が賢くならねばなりません。
かつての封建社会から民主主義社会へと移行しつつあるように思われますが、まだまだ覇道によるところが大であります。徳によって治める王道へと移ってゆかねばなりません。そのための賢者となるために御教えがあるのです。