「夜の時代」の癖を消滅
このように浄霊で素晴らしい御守護をいただくのですが、大切なことは御守護を賜った後も『浄霊』の文字の如く霊を浄める取り組みを続けることなのです。それが、冒頭述べました精神の癖を取り除く作業です。
その作業の中で、注目していただきたいのが浄霊の御力の発露です。浄霊の御力は『夜昼転換』がなされたからこそ、私達に授けられたのです。また浄霊なくしては、『夜の時代』であった三千年間の罪穢れを解消することはできないのです。ですから、浄霊の究極的な目的の一つには『夜の時代』に染み付いた精神の癖を取り除くことにもあるのです。
薬毒と三千年来の罪穢れからくる魂の曇りを甘く見ては大変なことになります。『夜の時代』の象徴的な精神の癖は、闘争心、敵愾心といった形で浮き出てきます。御神業に臨ませていただいていても、認識不足で進めていると『夜の時代』に染み付いた精神の癖に翻弄されてしまうのです。
そのために明主様(メシヤ様)教団であっても“和”が乱され、内紛・分裂が繰り返されてしまうのです。これの始末が悪いのは、自分が正しいと思っていることです。“和”を乱すことが目的で、その経緯は二義的なことであることが、御教えを深く求め続けなければ認識できません。御教えは、そうしたことを前もって教えられているのです。
取り分け布教師は因縁が深いと言われております。因縁は『夜の時代』に高位にいた者ほど深いことは自明の通りです。当然世渡りの上手さやある種の力も有しております。しかし、メシヤ様に出会って、善言讃詞にあるように『天魔羅刹も服ひて・・・』ということになるのです。この認識のあり方が肝腎なのですね。
以前「ご参拝の時に善言讃詞を唱えるのみならず、日頃から善言讃詞を心掛けることが大切である」ということをお話してありますが、言葉と共に中身を自らに質(ただ)してゆく姿勢が大切なのです。そのためにメシヤ様は、先達に『布教三訓』や『るナ三訓』の基になるご指導を繰り返されているのです。中でも『裁くなかれ』は必須中の必須なのです。
それは、『夜の時代』に高位であったことが、威張る、怒ることを常とし、自分を正当化する癖が残っているからです。それ故に三訓は深い意味があります。