第二次宗教ブームとメシヤ様のご姿勢

レモン・カルティユ氏夫妻と御対談
(栄百六十四号 昭和27年7月9日)

昭和二十七年六月二十二日、此日御引見の間に用意された神山荘(神仙郷内)の応接間は恰(あたか)も箱根大渓谷の樹海に乗り出した船橋の如き雄大な感じのする御部屋であった。

午後二時、フランスで一番大きいパリ・マッチ誌の主筆レモン・カルティユ氏夫妻、通訳の労を執られた外務省情報文化局々員、田付たつ子女史(信者)外随員一名、阿部執事、木原常任理事、長村長生中教会長、末席の記者等二名、一同静粛裡にお待ち申し上げる事数分、明主様(メシヤ様)には御簡素な羽織を召されて御出ましになり、御挨拶を終えて一同着座する。和やかな光を含んだ空気が漂う様な感じがする。以下御対談の模様を速記によって信徒の皆様にお伝えする次第であります。

この御対談が行われた昭和27年6月15日は、箱根神仙郷の完成した日です。地上天国祭の原点になる日に、御対談相手が宗教学の専門家であるということに深い意味があります。

だからこそ、宗教学的見地から対談記の内容を検証しておく必要があるのです。また、メシヤ様がお答えになっている内容は、短い文章ではありますが御心の結晶体のようなものですので、私達にとって大変解り易いものです。そうした双方の意味で、今回の拝読には大きな意義があります。

まず、終戦前には数百人しかいなかった信者が数年で3~40万人の信者が活躍するようになったという点です。信教の自由が許されていない時代には民間療法的な運動を進めておられ、それ故に宗教としての活動になっていなかったようです。

信教の自由が認められ、昭和22年に「日本観音教団」、同23年に「日本五六七教会」が設立されましたが、この時もメシヤ様は両教団の顧問というお立場で表舞台には立たれておられません。やっと教主として表に立たれたのが昭和25年2月4日のことです。ご承知のように「世界救世(メシヤ)教」を開教した時です。

ところが三ヵ月後、御法難に見舞われ、中々表舞台に立つことができ辛い状況が続くのです。そうした呻吟難苦の末に箱根神仙郷が完成したのであり、この御対談に繋がっているのです。

また、第二次世界大戦後かなりの宗教が発展しましたが、この現象は第二次宗教ブームと呼ばれております。この時点で発展した宗教の特徴は先祖供養に励んだということです。戦死者が遺族の夢枕に立つことが多く、しかも遺骨として渡されたものの多くは石ころや衣服の端切れなどでした。遺族は戦時中は尊ばれましたが、戦犯が問われ始めると複雑な思いに苛(さいな)まれます。そして何より戦死者の成仏を願ったのです。

そうした思いを救ったのが幾多の先祖供養宗教だったのです。

そこへゆくと、メシヤ様は戦死者の救いについて随所で解説をされていますが、一方で『仏のことは仏に任せろ』と仰って現実的な救いを展開されました。対談記中で『戦後の混乱せる人心に最も強く光明を与えた』と仰っている通りです。

「少年H(講談社)」の作者である妹尾河童(せのおかっぱ)氏は「学校で“民主主義”とは?」と尋ねると、当時の教師は「今までと180度違うことをやることだ」と答えた、と語っています。何と乱暴な解説でしょう。ご承知のように民主主義の背景や精神が正確に伝えられなかったのです。

そのため、何が正しくて何が間違っているのかが判らなくなり、生きてゆくためには“何でも有り”で、民衆から道徳心などが消え失せて混乱が生じたのです。ともすると、拝金主義に傾倒する考え方まで生じ、物質偏重主義が蔓延したのです。

メシヤ様は浄霊の奇蹟により神様の存在を示し、『神の言葉』として御教えを発信してゆきました。対談記中の「栄」は「栄光」紙のことですが、新聞や書籍によって人心を救おうとされたのです。

当時の信者さん方の追跡調査(四国)をしたところ、“『御垂示録』が届くのを毎回首を長くして待ち、次が届くまで毎日繰り返し繰り返し拝読した。全巻ほぼ暗記するくらいに、それこそ貪るように拝読した”というように述懐する人が多かったことを記憶しています。“心の拠り所”“魂の糧”という表現がピッタリだった、と伺っています。

また、『就中(なかんずく)医薬によらずして病気が治る』と述べられているように、病苦の最中にある人々を御救いになられたのです。しかも『私は私自身病気を治すばかりでなく、多くの人々にもその力を授けることが出来るのです』と仰られるように、多くの方々が浄霊力を授けられて人々を救済したのです。その結果の40万人(当時)なのです。

ここで重く受け止めなければならないことが二点あります。まずは、多くの先祖供養宗教が創出された時に、メシヤ様は現実的に生きている人間の救済に努められたということです。仮に慰霊祭などに重点を置くような施策を実施するようになればメシヤ様のご精神から離れてしまいます。

どこまでも人類救済に取り組み、天国の雛型を全国各地に、あるいは各家庭に築く取り組みを推進することに心血を注がねばならないのです。その点、祖霊舎を設けた時点で、根本的にメシヤ様のご精神から離れたということになり、本来の使命を果たせなくなったことになります。

そんなことでは申し訳ないので、メシヤ様のご精神を現代に求める取り組みを宣布してゆかねばなりません。

組織論としての宗教

二点目には組織論があります。メシヤ様は民間療法ではなく宗教を選択したというところに重要な意味があります。

例えば、民間療法の場合、一回の施術の料金が決められます。これは対価として支払われるもので、解り易い反面“心”が反映されません。お世話ということではやり易い面があります。しかし“心”が反映されなければ徳が生まれ難く、結果的に救いに繋がり難いのです。メシヤ様は、宗教というものを通して人々を真の救いへ導こうとされ、決められた奉納金以外は全て自主性に任せられました。そこに積徳の道を開かれているのです。

また、メシヤ様は“(病気を)治してもらう”のではなく“治す方法を教え力を授ける”ので“自分で治してゆく”ようにと願っているのです。この点を理解していない方が多いので、メシヤ様は繰り返し説かれています。少し長くなりますが、次の御教えを紹介したいと思います。

『信仰の合理性に就いて』

この御教えは、救って欲しい時は『這(は)ってでも来い』、救って上げる時は『走ってでも行け』、『どこまでも降りて行け』というご精神を踏まえて拝読せねばなりませんし、『裁くなかれ』を心に据えて拝読しなくてはならないことは言うまでもありません。

その上で、メシヤ様の御心を求めさせていただくと、誰にでも初心者の時期はあるものの何時までも依存するのではなく、自立した信仰を求めておられていることが拝察できます。一年、二年と経過したのならばそれ相応の姿勢を持たねばならない、ということです。

また、私達が御教え拝読をさせていただく場合に注意しなくてはならないのは、自分に都合の良いように受け止めるところがあるということです。例えば、私も重く受け止めている『救われた体を私用に使ってはいけない』というお言葉は、現代人では「人格の否定」に受け取ってしまったり、「この位で良いのでは・・・」という甘い判断で臨んでしまうことがあります。

そのような時には、深い愛を持って対応しなくてはなりません。相手の方の価値観が御教えに沿うところまで変容し、生き甲斐ある人生を送ることができ、真の救いを得るところまで導くことが大切なのです。ここに組織としての宗教が必要になります。勿論、その際、言動が脅迫信仰的なものになってしまうと、カルト化を招いてしまいますので、充分配慮をしなくてはなりませんが。

そうしたことからも、生涯教育の場でもある宗教という形態が必要であり、メシヤ様は可能な限り全人類を救済する上で宗教を選択されたというように拝察できます。

平成21年3月メシヤ講座より

 

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