釧路の重要性 メシヤ様の御神格の認識

「北海道で一番最初に開けたのが釧路だから、釧路もどこかの御神業のスポットと直線になりませんか。」との先生のお話があったのに、直線を見つけることができず、気になっておりました。

昨日、先生が紹介してくださった吾郷清彦著「日本超古代秘史研究原典」を図書館で借りてきまして読んでおりましたら、「釧路」の重要性を示す記述があり非常に吃驚しました。次の記述です。

第二部 太占への誘い 第十七章 フトマニ-クシロに

【フトマニとは、宇宙・天地・大自然の法則を意味し、公理とか神理とか書き表してよい。これに対しクシロは、天地宇宙の自然エネルギーを指し、フトマニの具現されたものといえる。】

【本来クシロには釧という意味の古語がある。そもそもこの釧は、ヒジにはめた古代の装飾品を指す。】

【神勅太占図は、フトマニが図示されたものであるから、これすなわちクシロである】

【同一線上に同文同種の地名が三つ以上串呂する時は、これを「神風串呂」と称し、天地神明が極めて重なることを神示遊ばされるものである。神示であるが故に、この「神風串呂は絶対である」と芳聖氏は豪語し、吉凶・禍福を予言し的中させている。すなわち彼は神風串呂によって人間の生死・家屋の火災などをピシャリと命中させる。芳聖氏が使う『串呂』とは各地点が直線的に串刺しされて、霊的に結ばれることを意味する】

これはまさに先般の地図の直線そのものが「神風串呂」であると受け止めることができます。先生が、何故玖珠の地に「主之大御神様」の御神体が最初に御鎮座あそばされたのかを春日言霊学の「クスツフムヌル」から判釈なされたように、「神風串呂」の意味を知らせるために釧路の地にまず、御神業を担う人が現れたと判釈できるのではないでしょうか?

吉凶・禍福を予言し・・とありますが、七五三掛地区の地割れのことも該当するのではと思いました。

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非常に含蓄のある解釈ですので、私の言葉で伝えるよりもそのままの文章を掲載した次第です。釧路出張所がメシヤ教発足当初から継続してくださっている意味が幾重にも存在することを、改めて思い知らされました。

この地図には、その後さらに深い意味の直線が発見されましたが、口頭のみで伝えております。御経綸上、襟を正さねばならない出来事の場であるからですが、深刻で厳格な内容だけにここへは記載することはできません。

また、北海道出張中に「七五三掛地区」の地割れに関連して、「伊都能売観音様」の御前で“浅草寺の異変”を教えていただきました。ただならぬ時代を迎えていることを思い知らされる毎日です。

メシヤ様の御存在に対しての認識

各地で学び合った内容のなかで、三重支部がアップしてくださった次の内容は、北海道でも同様の質問が出ましたので、ここでも取り上げておきます。

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ですからメシヤ様の腹中の光の玉こそが我々の信仰の本体だということです。先月喜多さんが次のように報告して下さいました。

〈  そしてその夜夢を見ました。それは広い二間続きの和室でその神床に黒っぽい羽織の姿で男の方が一番上に座っておられます。しかも前向きですので羽織の紐が大きく白く輝いているのがとても印象的でした。 〉

御尊影の羽織の房は非常に大きいですね。光の玉の御存在はあの位置ですから、羽織の房の部分が大きく強調されたということは、喜多さんの夢を通して私たちにメシヤ様がお示し下さったのだ、と1ヶ月間考えてこの想いに到達しました。

今回掲載の「地上天国祭」挨拶の内容と共通するのは、メシヤ様の御肉体は光の玉からすると邪魔だから、あえて喜多さんの夢では人物を特定させずに光の玉のある位置である房を強調なされたのだと受け止めることができます。

だから光の玉を強調されていたのです。このように受け止めさせて頂きますと地上天国祭の話と合致してゆきますので、挨拶の内容を理解して頂けるのではないかと思います。

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この内容は、『御光話録』で示されている内容が解答のようになっています。

メシヤ様は「麻邇(まに)の玉、如意の宝珠と、胎臓界、金剛界について御伺ひ申し上げます」という質問に対して、次のようにお答えになっています。

『神道では麻邇(まに)の玉、仏教では如意の宝珠と云ふので、玉とは魂の事で絶対力の意味です。今まで世に出た事がなかった。で本当の事を云ふとおかしいが、之は私の腹の中に在るのです。だからいろんな事が出来るのです。人を治す事も、キリストは僅(わずか)に十二弟子だけしかその力を授けられず、釈迦とても往来で急病で死んだのは自分の体すら治すだけの力がなかったからです。私はキリストと違って何万人でも人を治しうる人を作ることが出来る。この働きが麻邇(まに)の玉です。

胎臓界は日月地胎臓といって「日月地」が未だ出現しない時代の仏教で夜の世界の事です。金剛界は昼の世界で、金は太陽の光の事で、日月地下生後が金剛界になるのです。(昭和23年12月8日・御光話録より)』

この内容は、「地上天国祭」で報告いただいた中村正幸さんの【明くる日、菅谷さん宅を訪れ、初めて楳木先生にお会いしご挨拶をして「私は洗礼を受けているクリスチャンで、40年以上もキリスト教を信じてきたのです」と話したところ、「中村さん、イエス・キリストも浄霊をなさったんですよ」と仰いました。長年キリスト教の信者であった自分が初めて聞く言葉に、ただただ驚き、改めて聖書にキリストが手をかざして病人を癒したり、また死者をよみがえらせたりした、その数々の奇蹟の意味が判り本当にショックを受けました。それが、私がメシヤ様に太く繋がるきっかけになったのです。】と関連して、非常に重要なことですので、特記しておきたいと思います。

そして、『麻邇(まに)の玉』『如意の宝珠』という既成概念から、さらに御出世し最高位の『メシヤ様』となられたことを、私達は深く認識しなくてはならないと思わされます。つまりは、世界的な御存在になったということです。

平成21年7月メシヤ講座より

 

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