啓蒙活動が布教の一面
布教というものには啓蒙活動という要素も含まれています。11月に浜松支部では
この前、家に来た人が、会社の中の至る所に消毒液が置いてあるので、手が荒れている人以外はみんな消毒をしなければならないと言うことを話していましたので、「手には大事な菌もあるから、そういう菌まで殺してしまっているそうですよ。変な話、トイレのウォシュレットもお尻にある大事な、お尻を守っている菌まで洗い流してしまっているので、必要のない時以外は使わない方が良いということですよ。」とお話しましたら、「考えてもみませんでしたけれど、その通りですね。悪い菌もあるけれど、良い菌もあるのですからね。気が付きませんでした。」と言っていました。消毒しなさいと言われるとそうするのが当り前になってしまいますが、本当の話を聞けば、それではおかしいとわかる方もいらっしゃるのですね。(「メシヤ講座・浜松」より)
と報告してくださった方がいます。
このように人々へ啓蒙してゆく作業が布教の一つの場面なのです。これは御教えの研鑚が進み学習が身に付いたからこそ、会話として繋げることができるのです。こうした会話の積み重ねによって神様の存在を認識できるように導くことが大切なのです。
消毒ということでは、浜松支部で報告された「箱根神仙郷・奥津城の受付に消毒薬が置いてあった」という話にも驚かされました。『若(も)し、薬を服んだら親子の縁を切るでしょう。』というメシヤ様の御言葉を拝読した直後だけに、一同驚愕の声を挙げたのでした。消毒した手で、メシヤ様の御前で手を合わせることは参拝したことになるのか、ということをどうして考えないのかが不思議でたまりませんでした。
消毒についての見解は「ブログ岩戸開き」において
人間にとって悪いと思われる病原菌を排除しようと薬剤を使っても、病原菌だけを殺すことは難しいのです。例えば、皮膚には身体を守ってくれるよい常在菌がいます。病原菌に感染したとき、身体に侵入しないように防いでいるのです。
しかし、病原菌を殺そうと抗生物質や消毒剤などを使うと、よい常在菌も死んでしまい、抵抗力が低下してしまいます。そして身体を守ってくれる常在菌が少なくなれば、病原菌に感染し発病しやすくなります。まさに抗生物質や消毒剤が、恐るべき病原菌を生み出し、いろんな病気を作っているのです。
と解説されています。この機会にジックリと目を通していただいて再確認していただければ幸いです。
何故なら、布教とは人々の迷妄を晴らすにあるからです。
私達はメシヤ様から真理を教えていただいています。浄霊力という絶対的な救済力とその力の根源から垂示された御教えを宣べ伝えることによって幸福者へと誘うことができるのです。