メシヤ様の御言葉の御神意を探る

実は「メシヤ講座」初日の前夜に、メシヤ様が夢にお出ましになりました。御内流以外で、夢にお出ましになるのはなんと30年ぶりのことでした。神夢であると確信してはおりますが、夢物語として【 】内は読んでください。

【地方御巡教の途路の場面で、錚々(そうそう)たる先達の報告を順番にお聞きになり最後に私を見つめ『何か報告することがあるだろう』と御下問になりました。

その夢の前段で、人々のムクムクと湧き起こる執着を消すために額へ当てる呪術具を駆使している場面がありました。幾らやっても次から次と際限なく湧き起こるので、主神様にお願いし最上天国から御光を呪術具に注いでいただきました。すると、それを使用しようとした瞬間に人々の執着が消滅したのです。

私はそのことの報告をお求めであると考え、その旨報告しますと『私も知っている』と御答えになり深く頷(うなず)かれました。その御言葉の意味が解らないので、続いて言葉を足そうとすると『あとは必要ない』という御顔をされたところで目覚めてしまいました。】

何も飾らない在りのままの夢物語です。前段の人々の執着を消す作業は、当初誠に困惑させられる内容でした。無数の方々の額に一人ひとり呪術具を当ててゆきます。当てると消えますが、しばらくするとムクムクと湧いてくるのです。見渡す限りが執着の塊(かたまり)で途方に暮れているところに「主神様にお願いすればよい」という声が聞こえ、お願いした次第です。

この夢の中でメシヤ様が『私も知っている』と御答えになられた御神意は何かということをずっと考え続けました。この解説もいくら書こうと思っても書けず、結局御神意を悟るまで書くことができませんでした。

私が最も理解できなかった御言葉が『私も知っている』という御表現でした。通常何か教え諭す御表現であるはずという思い込みがあります。以前にも「メシヤ講座・特選集」でご紹介した内容ですが、世界救世(きゅうせい)教の教育機関での講義内容(京大、阪大の教授陣を主軸にした講師による)と御教えの関連性において悩んでいた折にメシヤ様が御登場されました。

京都・平安郷の宿直奉仕の際のことでした。内容を【 】で示します。

【私があるバス停で一人佇んでいると、バスが到着し、そのバスには高弟の方々が乗車していました。そこへツカツカとメシヤ様が歩いてゆかれ、ステップに片足を掛けられてから振り向かれ『開拓布教に行くぞ』と声をかけてくださいました。私は「ハイっ」とお返事し、御後に続きました。】

非常に短い一瞬の出来事のような場面でした。この時、“矛盾に思える学習内容でも全て開拓布教に必要なことなのだ”と受け止めました。

次は、世界救世(きゅうせい)教の布教施設の責任者に初めて就任した際、25歳という若さゆえに有力信者から様々な要望が出ました。地域の有識者が多かっただけに若輩者の私を憂慮してのことでしょう。その内容も以前に「青年布教師時代」と題して「メシヤ講座・特選集」で紹介したことがあります。中でも祝詞奏上の仕方については困惑するものがありました。困惑の極に達した際に【 】のようにメシヤ様が御登場されました。

【紋付袴姿でお出ましになり、私の前にお座りになりました。そして「天津祝詞」を高らかに厳かに奏上してくださいました。私は感極まり、メシヤ様の後ろ姿をずっと拝していました。】

その御声、奏上の仕方は表現のしようがないほど有り難く、荘厳な響きでありました。今も脳裏に残像のように響きと共に残っています。その時、誰から何を言われても“絶えずメシヤ様を求めてゆけばよい”という絶対的な姿勢を身に付けることができました。

このように、過去の御登場では私が御神業上でどうしてよいか判らない時に指し示していただく内容でした。それがこの度は、全く異なる内容であったのです。自ら悟らねばならない、と強く思わされました。

メシヤ様は御啓示の証をお求めになられた

そして出た結論は、メシヤ様は主神様の御啓示の証をお求めになられたのだ、というものでした。この話も「メシヤ講座・三重(平成22年3月分)」で出た内容が解り易いと思いますので、そのまま下記に引用します。

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(質問者)
メシヤ様への報告が過大になされていたのではないかと思います。

(先生)
そう。だからそれが一番今回は問題なのです。要するに担当者が過大に報告した内容をメシヤ様はそのまま採用されてしまっているのです。これが実は御神業上一番の問題点なのです。

だから皆さん方にもう一度整理して聞いておいて頂きたいのですけれども、世界救世(メシヤ)教が出来た時にはメシヤ様は、御自分は今まで顧問として謂(い)わば裏で御神業を進めてきていたけども、世界救世(メシヤ)教を開教することによって教主となられて表に出られた、とその時に書かれています。表に出て愈々(いよいよ)これから御神業が展開されるなあ、というところが我々がそれを拝読すると思うところなのですけども、しかし実はメシヤ様が表にお立ちになられたので今度は次席のNO.2を争って結局経理上の問題を当局に流した結果メシヤ様が逮捕されてしまって、そして頭脳の拷問という表現によるような脳貧血を何度も起こされてその後遺症で本来120歳の御寿命であるにかかわらず73歳で御昇天なされました。ということは実はメシヤ様の高弟が御神業を止めてしまったということなのです。

ですから今回のこの五割増産ということも弟子がメシヤ様の御言動を曲げてしまうような報告を上げてしまっていると。これが実は我々にとっては一番深刻に受け止めなければならないことだということを今回は対談の中で・・今回掲載している体験記と同じで、高度な読み方をしておいてもらわないといけません。

(質問者)
「景仰」を拝読させて頂いていると、メシヤ様は弟子や有識者に質問なされてその回答をそのまま御講話なされたことがあったと拝察できます。間に立つ高弟が確認作業をしていなかったのですね。

(先生)
そうね。だからすべてメシヤ様は誠の報告だということを前提にしてとり上げて行かれている。ということがあるので「景仰」を拝読しているとこういうところに繋がって行くのだなあと言うことが良くわかりますね。

(質問者)
今回の対談では阿部執事が数字をとり上げているわけですから数字の確認をしておかなければいけませんね。

(先生)
執事ですからね。報告してきた者に対して「あなた大丈夫、本当の数字だろうね。」ともう少し詰めてくれると良かったですね。ただまあこの当時30万位まで信者さんが膨れ上がっているわけだから、そういう大教団の教主様に報告された内容に疑問を呈するということについて当時の人達はどうだったかということですね。

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ここが今回の焦点です。メシヤ様は御啓示をいただかれてから『夜昼転換』の御神事に臨まれるまで、御啓示内容の検証を重ねられました。その御姿勢からすると、“私見を入れない在りのままの報告”を取らねばならなかったということです。ですから、メシヤ様は私見を入れられない姿勢を貫かれたのです。例えば『それは違うだろう』とは言えない訳です。

私は、水増しした報告を何故受け入れたのか、今日まで疑問でならなかったのですが、この度その疑念をやっと払拭することができました。

しかしながら、メシヤ様の御姿勢というものを当時の方々に重く受け止めていただきたかった、と思えてなりません。報告というものは、水増しがあってはなりません。それでは御啓示の証にならないからです。また、控え目でもしかりで、在りのままであらねばなりません。

ただ、生き神様を眼前に仰ぐとどうだったのか、は判断できないところですが、前回の対談記では、メシヤ様御自身『私はそういう異様な教主とか教祖とかいうものは大嫌いなのです。普通人と少しも違わないでいる方がよほど楽ですし、それが本当だと思います。宗教家とは言ってもやはり同じ人間ですからね。』と御述べになられています。

ある人は「神様なのに、何故見抜けなかったのか」と言います。また、ある人は「神様なのに、何故自分の命を守れなかったのか」と言います。これに対する答えを私は持ちません。ただ、御教えを心として類推すると、「こうではないでしょうか」とは言えます。

それは、全ての真理を開示し、人類の行く末を指し示した上での御歌『天国を作るも地獄を作るのも心のままなり人とふものは』であると思うのです。

この御歌はこれまで『我と執着と欲をとる』という観点から学びを重ねられてきましたが、もともとは「天国と地獄」というお題に収録されている御歌です。世界救世(メシヤ)教の開教に伴い改訂された『讃歌集(昭和26年5月)』です。御題そのままに『天国を作るも地獄を作るも』は人間の心次第であるということが素直な受け止め方であると言えます。つまりは、『神は真理を垂れるが選択は人類に委ねる』ということなのです。

ですから、弟子達(一部の首謀者)の選択が結果的に地獄であった、と言わざるを得ません。誰一人としてそんな認識はなかったことでしょう。昭和59年の教団紛争でも、「教団を良くする」という謳い文句にもかかわらず行為は卑劣な疑惑の投げかけによるものでしたので、一目瞭然です。

しかし、『人類に委ねられた』からには、天国を作る選択をしたいので「教団改革」にこだわってきたのです。

 

平成22年3月メシヤ講座より

 

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