本日は地上天国祭おめでとうございます。
意義深い祭典において皆様の前でお話しさせて戴く事に感謝致します。広島支部百合野早苗と申します。宜しくお願いいたします。先程の船井さんの発表(「生活上の心掛けが信仰」)を聞いて彼女がそんなに深く悩んでいるともしらずに居た事を申し訳なく思いました。
そして船井さんの話をもう少し深く聞いてあげていればこんなに苦しまなくてもすんだのにという思いで一杯になりました。私も以前船井さんと同じ天聖真美会で一緒に実践をお許し戴いていたので以前の教団内の事はある程度の事は知ってはいましたが、これも神様からの試練と思い耐えていました。
最近船井さんを見かけないなと思っておりました頃、彼女の結婚式に招待をして貰いそれから又少し話をする機会があり、「今信仰はどうしてるの?」と聞くと家事や仕事と時間が取れず参拝は今は許されてないとの事でした。私も以前の教団を辞めメシヤ教に入信していたので、メシヤ教の事を少し話させてさせてもらいました。
彼女がそんなに深く悩んでいるとも知らず少しして広島支部でお世話して戴いてる茶谷さんにその事を話すとそれは絶対にメシヤ様に救って戴かないといけないと真剣に話をして下さいました。そしてメシヤ教に縁あって入信許されました。
そして船井さんの発表を聞いていて何だか因縁めいてる物を感じた事と、思いだした事があります。私達夫婦は結婚して3年になるのですが子供が出来ずに悩んでいました。
天聖真美会にいた頃より生理不順で悩んでいました。しかしその教団ではそういう一個人の悩みは自分の罪とされその罪のお詫びとして献金を取り次がれ、具体的な解決方法も御指導もなく自分の罪と受け止めながら解決しない事も全ては「神様の愛」と言い聞かせていました。このたび縁あってメシヤ教の楳木先生に出会う事を許されました。
「悩みを解決して行くのが宗教の役目」
と言われた時、以前の教団の事があったので相談しようか?どうしようか?と迷いました。
生理不順を通り越し全く生理が止まって10カ月、精神的にも肉体的にも限界だった私達夫婦には一番の悩みだからと思いきって相談させて戴く事にしました。
すると間髪いれずに、「それはね、御主人に毎晩背面のこことここを押してもらい浄霊してもらいなさい」との御指導でした。
主人はその場で丁寧な御指導受けその日から毎日御指導を実行致しました。二週間くらい経った4月下旬、何と生理が始まったのです。
以前の教団では解決しない事は「まだまだ罪を許されない自分だ」と責め続けた長い長い信仰生活でした。しかし、急所と御浄霊でわずか二週間で大御守護を戴き、主人と共に喜びました。
そしてその後の御指導で、自分達夫婦に何故子供が出来ず悩まないといけないのか、「百合野家と安村家の因縁を断つ事を神様に真剣にお願いし御祈願をさせてもらいないさい」と御指導戴きました。先生より御本部で5月5日の11年祭に参拝させて戴きそこで真剣にお祈りさせて戴いてはどうかとのお話をお聞きし、主人と相談し御本部に参拝させて戴きご本部で真剣にお祈りさせて戴く事が出来ました。
「悩みを解決して行くのが宗教の役目」との信念のもと日々、色々な方に御指導される先生に縁あってお会い出来たこと本当に感謝いたします。
戴いた御守護を自分だけのものとせず、私と同じように苦悶されている方々にこの指導力と御浄霊の御力を伝えて行きたいと思います。
毎月、月次祭、メシヤ講座を楽しみにしておりますが、本当にメシヤ様の教えを体現出来、皆さん素晴らしい御守護に包まれ感謝いっぱいで談笑され幸せな教団だなといつも思います。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。 本日は誠に有難うございました。
[御蔭話(婦人病)地上天国祭 2010(平成22)年6月15日]
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百合野さんも報告していただいたように「全ては自分の罪だから、その罪を許されるために献金しなさい」とか、そういうようなことに全部繋げていくようなやり方ですね。その中で信仰していると、自分の中に答えがなくても、謂わば「まだ罪が許されないんだ」という諦め型になってしまいます。
これはですね、仏教の役割の典型的なものです。仏教というのは最近の言葉では「しずめのエイトス」と言って、イライラしたり不平不満とか出ても「まあまあ落ちつかせる」ということが日本の仏教の中の根底にある、それを解説した言葉です。そういった信仰と何ら変わらない。もっとそれを悪用したような信仰を残念ながら営まざるを得なかった過程があります。そうすると、『夜の時代』の“ものの考え方”の象徴的なものが消えないままに、心に抱えながら生活していかないといけない、ということが生じてまいります。
百合野さんに報告していただいたのは、船井さんが御守護いただいたきっかけを作っていただいたのは、やはり、出会った時に、気になった人に、気になったような話をした、ということを再確認していただくためです。
ですから、気になった人には必ず声をかけるということが肝腎です。声を掛けた時に、百合野さんが広島支部責任者の茶谷さんから何と言われたかというと、「船井さんの魂をメシヤ様に繋いで上げないといけない」ということです。
あるいは船井さんの魂がメシヤ様に繋がることを求めていると、あるいは救いを求めているということです。心というものがそこまで行っていなくても、魂自体がメシヤ様を求めている、ということです。心の表われとして、文字通り表情があって、その表情を見た時に、その人のことが気になるということは、相手がメシヤ様を求めているのだ、というように解釈して、そして、メシヤ様のことをお伝えしてゆく手立てを創意工夫しながらやらせていただくことが必要です。
これが、「因縁の人が因縁の人を導く」とか「因縁の人が因縁の人を救う」ということに繋がってゆきます。これから更に、我々の感性を豊かにしながら、敏感にしながら、魂の訴えとか、魂の叫びというものを察知して、そしてメシヤ様の御光を届けてゆくような日常生活をお互いに送らせていただきたいと思います。
そういう願いで、百合野さんと船井さんをくっつけて報告していただきましたので、願いとするところを受け止めていただいて、今日の参拝を意義あるものにしていただきたいと願っております。