初心者には『思わなければ御守は捨ててもよいのです。』と

話は対談記に戻りますが、本文中でメシヤ様が真山氏へ入信教修をなさっているような場面があります。貧から解放されるにはのところで

真山氏 色々な問題がありますが、病気から離れて貧を救うという事は、どんなものでございましょうか・・・・・・。

という質問に答えられる内容です。縷々御説明されている内容は、そのまま入信教修で朗読したいほどです。

そして、信仰形態について大きな指針をいただいておりますので、確認のため引用します。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

真山氏 そうしますと私どもは当分の間は貧から救われないわけですね。

明主様(メシヤ様) あなた次第です。救われたいと思えば信者になればよいのです。そうすればドンドン良くなります。併(しか)し、うまい事を言って信仰させようとするのだろうと思うでしょうが、思っても思わなくても、“信じろ”と言うのは嘘です。物は試しだ瞞されたと思ってやって“なるほど、これだな”と思えばよいし、思わなければ御守は捨ててもよいのです。

真山氏 私も救われたいとは思いますが・・・・・・それはやはり罪が多いわけでしょうか・・・・・・。

明主様(メシヤ様) 人を苦しめるというのは罪になりますが、自分が仕合せになろうというのは本当の欲求です。人をいじめてオレだけというのはいけませんが、人も良くなりオレも良くなるというのは良いです。共存主義です。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

布教に対する御姿勢は、初心者に対して『思わなければ御守は捨ててもよいのです。』とまで仰っておられます。

「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に鎌倉支部から続いて書き込んでいただいている内容の解答が、ここに短文ながら示されているのです。『恐怖信仰の愚』を指導者は自覚すべきです。

そして、指導者は自らには厳しく信仰姿勢を質(ただ)していただきたいと願います。指導者たるものは『新人たれ』の御教えに照らして進歩向上を目指し続け、思考の深化を果たさねばなりません。今回解説に「指導者向け」と添えたのも、率先垂範を心掛けていただきたいためです。

メシヤ教の資格者は、投薬したり、食品添加物や化学物質に注意を怠る行動に出た場合には、資格返上を申し出ていただくことに決めています。これは自己申告ではありますが、求道者として本来あるべき姿を求め続けるからに外なりません。

その意味では「メシヤ講座・浜松」に掲載された内容が参考になると思われますので、次に引用します。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

質問 前日、支部祈願参拝で浄霊を取り次がせていただく時に、出かける前に「みくらたなの神様」を認識させてもらえるように、御力をいただけるようにと、お参りさせていただいて、支部へ行き、いつもはバタバタと家を出てしまっていましたので、いつもと違う気持ちで浄霊のお取り次ぎをしました。その日は○○さんが「足が痛い」と言っていたのですが、浄霊の後、いつもと快復の早さが違うね、という言葉を聞いて、浄霊をさせていただく喜びを感じました。

先生 ○○さん、その日は明らかにいつもと違ったの?

参加者 支部へ来た時には、座っていられないほど足がすごく痛かったのです。浄霊をいただく時に、今日はとても足が痛い、と話しました。浄霊をいただいた後、帰る時にはどこも痛くありませんでした。

先生 その時の浄霊の御守護が何でか、というのは今のが理由だから(「みくらたなの神様」に対する認識を深める取り組み)。やっぱりメシヤ様に真向かう認識が変わると浄霊の光が強くなるという事です。多くの方々が悶々とした生活の中で、このメシヤ教と出会ったので、一挙にメシヤ様に対する認識が高まったから、ものすごい御守護、奇蹟が出ているのです。だから先に歩いている浜松支部の人達は、のほほ~んとしているので、だから今の様な認識を新たにして『メシヤ様』に直に、より太く繋がるように取り組めば、もう手をかざすだけでどんどん結果が出てくるようになるのです。まあ、大きな参考にしていただきたいと思います、ここまでの話はね。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

体験者の学びを共有することは勿論、肝に銘じ、自らに取り入れ、実践に移していただきたいものです。そして何より、浜松支部の体験者がこの御守護を決して忘れることなく、いや今回の意義を自らの中で膨らませてゆく精神生活を歩んでいただきたい、と願うところです。

 

平成22年9月メシヤ講座より

 

コメントを残す