御性格に照らして信仰生活の見直しを

今月各地の「メシヤ講座」で触れて来た内容は、対談記の中にありました霊籍に基づく生活の在り方、浄霊の在り方でした。霊界は180段階あって、そこに我々の魂が在籍しています。魂が上がれば天国へ行くし下がって行けば地獄へ在籍するということになっています。そして、それが現界での私達の生活に反映される、というようにメシヤ様は対談記でお述べくださっています。それに照らして私達の日常を考えていくと、日々の生活というのは魂が上がって行くということが一番大切だ、ということになります。

そして、天国に上がって行くにはどうしたらよいかというと、罪穢れの重みで地獄に行く訳ですから、罪穢れが払拭されると上に上がって天国に在籍することができるという訳です。

そのことを我々の日常生活に当て嵌(は)めて考えてゆくと、まず浄霊によって我々は浄められた訳ですけれども、浄められた霊体というものをまた曇らせてしまう、という生活を残念ながら今までのメシヤ様の信者は繰り返してきました。

その典型が、今もって教団紛争が終結していない最大の原因であります。紛争だけを考えてみても、当時の総長職にあった人に嫌疑をかけて、そしてその職から引き摺り降ろしたというのは、如何にも素盞嗚尊が行った蛮行に類似することであります。当然その引き摺り降ろした人達が暫(しばら)く政権についても秩序がなくなってくるので、そこでぶり返してきたグループというのはいわゆる天孫系に似ていると思えてきます。薬毒を作りだしたのが神農(盤古神王)で天孫系ということになってくる訳ですので、浄霊と医療を併用する考え方を受け入れているところが、非常に似通っています。

そこで、我々はメシヤ様の御教えに基づいて、伊都能売神皇の御性格に照らして信仰生活をもう一度見直さなければいけない、と思います。しかも、伊都能売観音様が御奉斎されていて、宗教宗派を超えて参拝に集結している「この場(観音堂)」は、非常に大きな役割があるのではないか、と思います。

 

平成22年10月メシヤ講座より

 

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