「何でも飲んだ薬がすぐ出る」など、ウソ
代表先生
ここに痛みが出るということは、薬毒が刺激してるわけだから、そこを浄霊すれば消えていきます。それからね、みんなやっぱり唯物的に考えていくので、毒素の塊りがズルルルっと出ていくように、みんな錯覚しているんだけども、実はその毒素というのは、ほんの小さい物が溶けても相当な血膿になるわけですよ。だから昔から言われていたのはね、小豆くらいの毒素が溶けると洗面器1杯分とかになるんだと言われているのでね。
一番元の毒素は非常に痛くても小さいんだということです。それを出す時に血膿にして出すわけなんで、わぁ-と広がるから、「こんなん入ってたんか」となるけど、神経を使う所にきっちり固まっていっているわけなんで、非常に細かい毒素が、一つ一つの浄化で出ていくということです。だから「これが出たからもう大丈夫」ということはないわけなんです。
木原
MOAでよくありましたが、「これだけ集中砲火のようにやっても(病気が長引き)良くならないんですけども」と、そういうことがよくあったんです。そう言うから、「(入っている毒は)そんなもんじゃないんだ」と。米粒一つがコップ1杯の血膿とか、質により違いはありますが、小豆だと洗面器1杯とか・・、だからそれを考えた時に、自分が持っている毒と、排泄していったものと見誤ってしまうということがあります。
「この位タンが出たらもうこれは飲んだ薬が出ちゃってる」とか、「どんどんたくさん出てますよ」と、専従者が勘違いして、薬を飲ませちゃってます。
そもそも若い毒は力が強いですからね、毒血になるまで時間がかかるものもあるし、毒血も米粒一粒になるまでに何年や、古い毒だと数十年かかったりするしね、それを何でも今飲んだ薬が出てるという、今タンが出てるのはそうですよと言わんばかりのことを、よく話してますからね。
代表先生
だからタンが出てるのが、薬が出ていっているわけじゃないからね。その辺が全く勘違いしている。浄化を知らない人達が多すぎるね、専従者にね。
要するに風邪で鼻が出始めた、その鼻の分析すらしてないでしょ。(毒が悪質になっていった判別法として)まず透明な鼻汁から、白くなって、それから黄色くなったら少し毒素が出てるかなというくらいだからね。白いのは毒素じゃないんだから。これは言わば出すための潤滑油みたいなものだから、白いうちはまだ毒素じゃない、黄色くなってきたり、あるいは飲んだ赤い薬とか、いろんな色に出て来た時にはじめて毒素がやっと取れているわけだから。だって臭くないでしょ、白いタンなんかはね。少し緑がかったタンとか吐くと、ちょっと「ウッ」という臭いがする。これで飲んだ薬剤が少し出てるんだからね。
そんな「薬を飲んでてもタンが出てるから大丈夫ですよ」なんてね、そんなトボけたこと言ってたらね、本当に信者さんがお気の毒です。
木原
一応、専従者も(教団の出す浄霊にかかる)本なども読んでいるですけれども、そういうことよりも・・、薬を飲ますということが、頭にあるもんですから、何でもかんでも薬を飲ます、それがすぐ出ている、とそういうことに結び付ける頭が先にあるんで、それ以外は見逃すんでしょうね。結局は、療院を否定しないようにものを考えるんでしょうね。
代表先生
東京の療院で、大問題になっているのはね、真面目なおばあちゃんで、ある病気の症状が出ているんだけど、「私はこれまで薬を1滴も入れてないんだから行かない」というのを、専従者と家族みんなで療院に連れていって、薬飲ませてね、「あ~これで医療拒否を免れた」と、馬鹿な話をしてるのでね。愚の骨頂のようなお世話を強いているわけですよ。
【代表先生補足】
メシヤ様の御心を正しく理解しないで低レベルで考えてゆくと対立的になってしまい、医療拒否などということが浮上します。最先端医療を目指している姿勢が必要なのです。冒頭の話のように癌になったらどうするか、ということの前に癌の原因を究明し罹病しない在り方を目指すのです。そうでなければ、衰弱を懸念しての病院の使い方すら分からなくなってしまいます。また、インフォームド・コンセントを徹底するような社会運動へも繋ぐことができなくなります。