主神様の御神名をお唱えする在り方

また、時期としては新本部竣成祭を許されたこともあります。このことにより、メシヤ教の身辺で起きる事象に大きな変化が起きております。その内容は、8月度のメシヤ講座で触れてゆこうと考えています。そこで、要望の多い写真の公開をしておきたいと思います。


(新本部竣成祭の早朝に到着した出雲支部サイト担当者が撮影)

新本部竣成祭は、御神前の改装計画から推移して許されることとなったことは既報の通りです。御神前改装とは主神様、メシヤ様を御奉斎申し上げる在り方を整えるということであり、それは私達の参拝姿勢を整えることでもあります。この内容については「メシヤ講座・大阪(平成24年6月分)」に比較的詳しく話しました。その内容をアップしてくれていますので引用します。

 

代表先生 まぁ、このように月次祭をさせていただいた時に、メシヤ教の場合はですね、『主神様』に直接お祈りをする、そういう形式を取っております。(中略)こうして天津祝詞を奏上して、善言讃詞を奏上したあと、御神名を唱えるというのはどういうことかと言うと、この御神名『主之大御神守り給へ幸倍給へ』という言葉に出すことすら、実は人間の言葉では穢してしまうぐらいの尊い御神名なんだ、と。その御神名を唱えるうえにおいては、天津祝詞で、まず自らを浄めて、そして善言讃詞によって、地上天国を建設をしていく霊界を認識した上でこの御神名を唱えない限り、もったいない御存在なんだというような気持ちを膨らませて御参拝するというのが、本来の教主の座にある人間のやるべきことなんだけども、こういうことを御教えに基づいて、そういう姿勢作りをしていないがために、教団は、ずーと紛争を続けて、今なおですね、纏まりのない教団を続けているということですね。

だから、我々は・・、「メシヤ様に直結する」という信仰を育ててきた我々だからこそ、『主神様』の御存在に対して真向かっていけれるような信仰を今育てて行きつつあるんだ、と。

この『主神様』が、太陽系をはじめ宇宙全体を御創造になられているので、『主神様』にお参りするということは、この大宇宙を認識する・・、その小さい形でいえば、太陽系の運行を認識して、そこに感謝のできる人間というのが、本来の文化的な人間であるわけですね。

それが今、○○さんがおっしゃったように、目先のことばかりですね、目がいって・・、この地球をどうしたいのか、日本をどうしたいのかという、また、本来どうあるべきかということを考えないで生きている人間達目覚めさせていかないといけないのが、我々の役割なので、一つその役割をしっかり担っていただきたい、と。その担う大きな節目に・・、6月15日にですね、ご一緒にご参拝していただいて、節目としていただきたいと思います。

その節目となるために、いろいろ皆さん方の魂は、夢とかいろんなことで見せられている、自然現象にしても見せられているので、その見せられた事を基に、よりいっそう魂を奮い立たせて、地上天国建設ということに取り組んでいただければ、たいへんありがたいと思いますね。

そうした姿勢づくりをしていただいて、皆さんには「地上天国祭」に臨んでいただいたからこそ、岡山支部で報告のあった祭典の様子に繋がったのではないか、と受け止めさせていただいております。

詳しいことは、「メシヤ講座・岡山」を参照していただきたいと思います。ここでは一部引用します。

 

〈地上天国祭で、にこやかな
       メシヤ様のご尊顔を拝する〉

 代表:で、質疑応答に入る時に、一番最初は地上天国祭で山地さんが拝した内容を聞かないといけないですね。あれをもう少し早く言っておいてくれれば、メシヤ講座の中に書いておくんだったんだけど・・・今日聞いたものでね。(笑い)参加者:今日もそのことを思いながら、参拝に臨みましたけど、今日は現実的でしたが、あの時は生まれて初めての、入信して以来、初めての体験でしたけれど。

後で思えばですよ、天津祝詞の時ではないです、善言讃詞が始まってから”ふっ”と頭を上げたんですね。頭を上げるわけはないんですけど、夢の中みたいな感じで頭を上げた時に、私の方を向いてメシヤ様が、ここから上(上半身)ですよ、ニコニコ笑って、私も今日しみじみこのお写真を見ましたが、このお写真より若かったです。

で、ニコニコ笑ってこっちを見ておられて、私は後の発表の事で頭が一杯でしたからね、あの私の考えでその時、“ああ、今日私が発表することはメシヤ様がOKを出されたんだ”と解釈したわけですよ、笑って笑顔で私の方を見ておられるから、“ああ良かった、合格だわ”と思って頭を下げて代表の善言讃詞を聞いていたんですけど、また頭が上がったんですね、そしたら同じ場所で同じ御姿です、いい笑顔でしたねぇ。

私、今でも勿体ないと思います。それでその時私が、“あ、それは私じゃなくて、今日は天国祭、天国祭にメシヤ様がお出ましになっているんだ”とそう思えたわけです。”私が先に思ったのは間違っていた、私個人のことではなくて、メシヤ様が天国祭へ、今日ここへお出ましになっているんだと思ったわけです。”ああそうか”と思って善言讃詞を聞いて、その時はもう現実になっているんですよ。

生まれて初めての体験ですから、思い出しても、畏れ多いというか、嬉しいというか、生涯の光栄ですね。今まで色々なことを先達の方々から聞いていましたけれど、私はそういう体験は一度も無いんですよ。だから、あそこで、あのメシヤ様の・・・帰って私、家のお写真も見たんですけど違う、もっとふくよかでもうちょっと若くて、本当にいい笑顔で、・・・その前に私が、M○○センターに行った時にお写真が暗くて、”いやーどうしたんだろう”と思った後でしたからね。この人には言ったんですけど、“どうしてセンターのお写真はあんなに暗いんだろうなぁー”って言った後でしたから、余計にあの時は感動しました。


 〈信仰を伝えていく原点は体験記〉

 代表:その一場面を聞いただけでは、非常にありがたいなぁと思いますね。で、しかもあの時に、山地さんに体験発表の原稿をお願いする時から、発表していただくまでのですね、こちらの願いというのは、信仰の話・・・色々教えを取り次いだり、色んなことをするんだけども、信仰が伝わっていく一番の原点はやはりメシヤ様からいただいたその恩恵を、そのままありのまま、みんなに話すということが、信仰を伝えていく時の一番の原点であると。

これを欠かしてはいけないということが、まず第一としてありますね。だからそういうことを我々が確認していかないと、いけないことではないかなと思いますね。しかも昭和41年の話ですからね。

 参加者:そうです。

 代表:ねぇー。それをまた、一度も報告しなさいと言われたことがないということも、今日まで教団としては勿体ないことをしたなと思いますね。まぁ、非常にいいお話を聞かせていただきましたので。


〈メシヤ様と直に繋がることで
           魂が覚醒する〉

 参加者:今日は仕事で来ていませんが、片山君が、帰ってからこの度の地上天国祭について、大変厳かな祭典であり、参拝だったと、そして場所ではないんだなぁと思ったと言っていました。それで、今までは年に2回、6月と12月は必ず箱根に行っていたんで、この度も箱根に行かなくてもいいのかなぁという思いもありましたが、その片山君の言葉と、山地さんのメシヤ様を拝した出来事が一致して、そういう思いは解決しました。それと共にこの一年間、否定しても否定しても証しや奇蹟を次々見せられたことで、ここまでお導きいただいたんですけどね。

 代表:片山さん自身の魂が覚醒してきてますね。

 参加者:宇宙人みたいなところがあるんですよ。今浄化して半年になる○○さんに、片山君が「M○○の浄霊では治らんよ、メシヤ様の浄霊してあげるからおいで」と言ったら来たんです。この時も言葉が勝手に出たと片山君が言うんです。片山君の優しさが伝わったんでしょうね。

だから先だっての△△さんのご主人でも、「あの子は体は小さいけど良く働いて優しい、自分らにも敬語を使って」と言う。信仰とは信用なりという御言葉があるように、そのご主人や○○さんに信用された結果だと思うので、これから御用にお使いいただけたらいいのになぁと思いますね。

代表:そういう宇宙人みたいな清らかな魂の持ち主が、何故使われなかったかというと、メシヤ様に繋がらないと駄目なんです。組織を通して繋がっても駄目なんでね。メシヤ様と直に繋がることがこの岡山支部を通して出来たので、あの人の魂が輝き始めたんです。

だから我々にとって一番大事なことは、メシヤ様と直に繋がっていくということが、これが大事なことですね。メシヤ様がお出ましになって下さった、生涯の宝になるようなことも、それを我々みんなの宝にして、メシヤ様とそういう御存在とすっと繋がることが大事なんだと。

これからの御浄霊というのも、そのことをどんどんどんどん膨らませていきながら、浄霊をさせていただくことが大事だということをね、今回の地上天国祭を通して又一段と、教えられたような気がしますね、今の話を聞いててね。

メシヤ様を直に太く求める者によって執り行う祭典こそ、重要事であることを認識させられる内容です。

御神前に向かう在り方は御神体御奉斎の際にも確認させていただくことですが、当然のことながら信仰の根幹にかかわる内容なので繰り返しお話させていただいております。このことに思いを置いておりますと、各種宗教グッズをお預かりする際に強く感ずることがあります。

 

平成24年7月メシヤ講座より

 

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