人生の壁を乗り越える時、神様から力をいただくのが信仰

参加者:熱が1ヶ月ほど下がらない一般の人をしばらく浄霊していたんですが、その方はその後検査入院をされているんですが、病院では浄霊しないほうがいいと聞いているんですが・・・。

代表:だからそういう病院に入ってしまった人は、病院に任せておけばいいです。そして、さっきの○○さんの話のように夢に出てくるような間柄になっていかなければいけないです。

で、その為には、自分が高まっていかないといけないです。自分の霊籍が高まるように御神体をいただいているわけです。御神体から出る御光が自分を浄めていただけるように、そういう気持ちでお祈りしていかないといけないです。ただ、挨拶としてお参りするのであれば「大光明」の方がいいです。

「主神様」は挨拶とかいうよりも・・・朝の天津祝詞を奏上する時に、その時にずーっと自分の魂に光をいただいて、自分の魂を太くしていただく、霊層界を高めていただくということで祝詞を奏上していかないといけないです。

参加者:そういう意識が少し薄かったです。

代表:少しじゃないでしょ、大いに薄かったでしょ。

参加者:はい、そうです。

代表:みんな、ちょっととか言うけど、全然ごまかしているから。そういう気持ちで祝詞を奏上していかないと、祝詞の言霊(ことたま)に力が籠(こも)っていかないので・・・。

《メシヤ様からいただくものとは・・・》

参加者:時間もまだきちっと守れてないです。

代表:そういうのは、決めてやって下さい。それから、「祈りの栞に寄せて」という本があるでしょ。御神体を迎えたら、「祈りの栞に寄せて」の本は繰り返し繰り返し読んでみて下さい。神様に真向かう姿勢というのをあそこには書いています。

それからメシヤ様からいただくものは一体何かと・・・メシヤ様からいただくものは何かと言った時に、メシヤ様は何故教祖になったのかということが、一番大事なわけです。メシヤ様という御存在が、岡田茂吉という実業家としてずーっと成功してきて、その中で教祖になる理由というのが実は二つあるわけですよね。一つは婦人病以外、全ての病気を患って、その患った時にどうしてよくなったかというのと、人がどういう声を掛けてくれたかというのがあるわけです。

例えば、私と○さんが商売敵だったとするよね・・・そして○さんが具合悪くなったら、「○さん、やっぱり天罰が下ったなぁ」とかいう話をするでしょ。しかし、非常に仲が良ければ、「○さん、ちょっと働き過ぎだよね、この病気をきっかけに少し体を労(いた)わっていかんといかんよね・・・」という話になるでしょ。

言葉というのはそれだけ状況に応じて千変万化するわけですよ。その時に、具合が悪い時に、力になる言葉を掛けられたことを、教祖になる人というのは絶対に忘れない。だから、一つは言霊を、言葉というのを、人を救う言葉というのを得ていく人生をずーっと教祖になる人は歩んでいくわけですね。

だから、教祖という方、メシヤ様からいただく力というのは、一つは「人を救う言葉を身に付けさせて下さい」ということを頼まないといけないわけです。自分はそれだけの経験をしてないから、言葉というものを十分身に付けてないので、人を幸せにしていく、人を救っていく言葉を「一つでも多く授けて下さい」というお祈りをしていかないといけないわけです。

で、お祈りをした以上は、自分が言葉を身に付けていく生活をしていかないといけないので、日々言葉を練っていく訓練をしていかない限り、メシヤ様に頼んだ以上は、そういう生活をしないといけないというふうに、自分の人生を組み立て直さなければいけないです、まずね。

それから、メシヤ様はある日突然神懸かり状態になったわけですね。そして、口を突いて出る言葉は押えられないのでしゃべったところ、『紙と筆を用意せよ』ということで50万年前から将来に亘ってのあらゆることをずーっと教えられたわけです。この時から、もうメシヤ様は力を授かっているわけです、主神様からね。

ですから、我々のもう一つの祈りというのは、浄霊力を、「さらに人を救う浄霊力を授けて下さい」という事を、メシヤ様にお祈りをしていかなくてはいけないということです。日々は、絶対に言葉と浄霊力を頼んでおかないといけないです。

《人生の壁を乗り越える時、神様から力をいただくのが信仰》

参加者:中々自分としては、その言葉というのはまだまだです。

代表:だから、「まだまだです」というのは、分かるわけです、人間は。「まだまだです」と言った時には、壁にぶつかっているわけなんです。

参加者:それはもうずーっと前から・・・。

代表:人生の壁にぶつかりっぱなしなんですよ、それを越えていないわけなんです。これを超える力が神様の力なんですよ。そういう御参拝の仕方をしていかないといけないです。

人間が壁にぶつかって、それを乗り越える時には、「まだまだです」という言葉がずーっと、出続ける癖が自分についているわけなんです。それを取るために神様に力をいただくわけです。これが信仰なんですよ。信仰は・・・、何かを御守護いただくのが信仰ではなくて、自分が“まだまだだ”というのが分かっているので、その壁を乗り越えていく力を信仰は下さるわけなんです。

平成25年9月メシヤ講座より

 

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