『数字は神様だ』
皆様、改めまして岡山支部「御神体遷座祭」おめでとうございます。御守護報告をお聞きしまして、中々感動が収まりませんので・・・、お聞き苦しいかと思いますが、一言ご挨拶をさせていただきます。
支部責任者の原田さんより報告いただきましたように、今までの御神前は手狭になって、参拝者が増えてきましたので・・・、こちらの方に改装するということになりまして、こんなに広い御神前になったのですけれども、こうして御神前一杯の方々と遷座祭を執り行うことができまして、心から感謝申し上げたいと思います。
また、原田さんの経過報告をお聞きしていまして、原田さんの信仰姿勢とそれを支えてくださる信者さん方のご尽力に、感謝の念が湧いて参りました。この機会に改めて、感謝申し上げたいと思います。
そして、原田さんの報告の中で・・・、実は原田さんと私は同い年であります。ただ、学年は私の方が一つ上なのですけれども歳は一緒なのですが、大祭の時の代表挨拶というものを自分のことのように受け止めていただいて、陰に陽にメシヤ教の御神業を支えていただいております。
時には代表挨拶というのは嫌みに受け取られ易い話も幾つかするのですけれども、それを自分のことのように受け止めて、信仰向上の糧として、そして、同い年の私にしっかりと仕えてくださっております。そうした取り組みの上に信仰向上が許されて、信仰向上が許された分、結果が出てくる訳であります。これがメシヤ様が『数字は神様だ』と仰った内容であります。そういうものが無くて、信者の数が増えてゆくということはない訳であります。
私自身が世界救世教という所を離れて、メシヤ教を立ち上げた時に、以前にもお話しましたように、ひたすら掃除をしておりました。今まで布教所にお貸ししていた物件を返していただいて、そして、メシヤ教の本部とそれから自宅として、そこの掃除を取り組んでいた時に、布教所長の経験のある母親は「掃除ばかりをしているが、布教方針等立てずに取り組まなくて良いのか」と零(こぼ)したこともあります。そして「浄霊」という本を地域に売り歩こうとしたこともありましたが巧くゆきませんでした。方針とか、そういうものを立てても中々巧くゆきませんでした。
そこで、最高最貴の御神霊に御降りいただくに相応しい、そういう霊域と、そこにお使いいただく人間としての魂の高さを自らに着けていかない限り、メシヤ様の進められようとする『本筋の御神業』というのは担うことができないという思いで、ひたすら掃除に取り組んでまいりました。
そして、館が段々と綺麗になるのに併せて、自らの中に“メシヤ様が本来進められようとされた御神業とは如何なるものか”ということが段々形を成して、霊界作りができて参りました。そうしたところから少しずつ皆さん方をはじめ信者の皆さん方が増えて、支えていただけるようになりました。そうしたことと同じように、原田さんと一度御神前の掃除の仕方について話し合ったことがあるのですけれども、そういう話をするということ自体が、原田さんが真摯に『最高最貴の御神霊にお鎮まりいただける霊域作り』に取り組んでいるということが、ヒシヒシと伝わって来たものであります。