御神業を担う責任者の姿勢が肝要
≪体験報告≫
鎌倉支部 菅谷敬
「A wart completely disappeared.」
熊本・光の森出張所 K.T
広島支部 茶谷敏子
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そして、本日発表いただいた方々の内容を聞いておりますと、これから『本筋の御神業』を進めていくという上において、大切なことを報告していただいた、と強く思わせていただきました。
最初に報告してくださった鎌倉支部の菅谷さんは・・・。
菅谷さんと御神業を一緒に進めさせていただく中で絶えず打ち合わせをしていることは・・・○○というところと共に『宗教改革』『医学革命』を世に問うていく内容を進めておりましたけれども、ある事情から拗(こじ)れてしまいましてメシヤ教が攻撃されるようになりました。その際、弁護士と相談して威力妨害で裁判を起こす寸前まで行っておりましたところ、その管理者がお亡くなりになりまして、この時に菅谷さんとまだメシヤ教の人数が少ない中で将来の御神業の為に打ち合わせをしたことがあります。
それは何かと言いますと御神業を担う責任者の姿勢であります。
これは最後に報告していただいた茶谷敏子さんの話と関連してくるのですが、茶谷さんが大変厳しいメシヤ様の御叱りをいただいて「掃除をしなければいけない」ということで妹さんと三日間寝ずに掃除をした訳です。この時に本人にいただいたメシヤ様の御指示である訳ですので、本人達が取り組んだということはそれで良いのですが、得てして信者さんに呼びかけて「こんな夢を見たので皆で奉仕しなければいけない」というような態度に出た場合は本日の茶谷さんの報告はなかったと思います。全てメシヤ様から自分に承った御神業ということで身を以て取り組んだからこそ、今年になってもう10名の浄霊力拝受者と入会者も許されるなど、どんどんご案内ができております。
支部や出張所、集会所で何らかの問題が発生した場合、それを自らの魂の問題であると受け止め、自らがメシヤ様の御心に叶うように取り組んでいけば、その後は発展を許されていきます。
私の拙い布教経歴でも、そのように取り組んでお預かりした布教拠点が倍化、三倍化を許されていきました。これを信者さん、あるいは問題を起こした人の所為(せい)にしてしまいますと、もうその時点で支部の発展は止まってしまいます。
そのようにメシヤ様の『本筋の御神業』というのは厳しい面もございます。
取り分け、観音様の御働きだけではなくて国常立尊様の御働きも加わってきますので、『メシヤ様』と唱えた時には絶大なる御光を賜ると共に『立て分け』の厳しさが表面に出てきます。自分自身の魂自体が浄玻璃(じょうはり)の鏡に照らし出されるような状態になってきます。上に立つ者程、そういった想念を以て御神業に臨まなければいけないということが一つあります。
実はこのことが『メシヤ降誕本祝典』を行うことが60年前に出来なかった最大の理由であります。メシヤ様が都度都度御注意を先達の方々にされておられたのですが、先達の方々が『メシヤ様』という御神格に上がられた時の信仰姿勢や御神業姿勢というものを“我がもの”にすることが出来なかったために、厳しい国常立尊様のお働きが出始めると都合の悪い方々によって本祝典を先送りという形になってしまったと推測されます。
そうした意味からも、本日こうして本祝典の記念大祭をさせていただくということは大変有難いと共に、厳しい面も出てくるということであります。
しかし、先達の方々が悪いことばかりではないのは当然でありまして、メシヤ様の御神業を進めていく数々の教団を作ってくださった訳であります。その方々が布教において大事にされた「るナ三訓」と「布教三訓」というのがございます。これは布教していく上においては大変重要なものでありまして、そのことを実践することができれば、それぞれの拠点がより発展することが許されていきますし、先達に対して“本祝典を開くことが出来なかったということだけで批判して行きますと、我々も大きな御神業を担うことが出来ない”ということに陥ってしまいます。
そこで、もう一度菅谷さんの話に戻りますが、○○との問題を教訓と捉えれば、支部の責任者がどこまでもメシヤ様と相手の方々が直に繋(つな)がって、その繋(つな)がりが更に太くなるようなお世話に徹するということが大事だということと、周りの方々が責任者に対して感謝し始めると自分の中に『慢心』が生まれてきますので、そういうことを早く戒めて行かないといけないということを打ち合わせて、それを今日までズーッと守ってくださっている、その延長線上に鎌倉支部の御神前の改装と、それから箱根本部の建設用地入手、次に計画しております駐車場の整備や館の建設ということに繋(つな)がってきているというふうに受け止めさせていただいております。