精神障害による地獄から徐々に解放
本部直属・鹿児島 竹裕美
最初に報告をしていただいた竹さんは、最初の原稿が30枚にもなりました。少々多過ぎますので何回も削っていただいて、今日の発表に至った訳であります。報告をお聞きになって削った部分がありますので、前後関係が良く分からなかったところもあるかと思います。
過去のメシヤ講座の中で少しお話をさせていただいたこともありますが、竹さんのご家族は元々鹿児島県の離島に住んでおられたのですが、鹿児島市内に引っ越して生活するようになった時に、元々の竹という姓では生まれてくる子供が鹿児島市内でいじめを受ける可能性があるので、そうしたことを避けるために竹脇という姓に変えて生活を始められたようです。ご両親も非常にご苦労されたようですし、本人のご苦労は・・・この体験記の大半は物心ついた時からの苦労が綴られております。私はこれを読ませていただいて“よくこんなに克明に覚えておられるものだなあ”と思ったことと、“非常に辛い内容であったなあ”と推測いたしました。
この問題はどこから発生しているかは御教えに照らせば一目瞭然で、どのような内容であろうとも先祖が納得いく形でなければ名乗る氏を変えることは出来ない訳なのですけれども、今のこの日本に覆い被さっているものというのは・・・、今月の『キリスト教』という学びでメシヤ講座を既に開いた支部とこれから開く支部でまだ説明していないところもありますが、キリスト教は物質文明の発展を担った訳ですが、物質文明の発展を担って推し進めるとどういうことが起きるかと言いますと、欲望を煽り立てるということで人々の心をそちらの方向へ向けさせます。そうすると、その欲望に対して適う人と適わない人が出てきて、適わない人は心の中に欲求不満を膨らませて行ってしまいます。
そうしたところを仏教は“鎮めのエートス”という機能で以て対応し『夜の時代』をズーッと過ぎて今日を迎えております。その心の中にある欲求不満に加えて、さらに第二次世界大戦に敗れて以降日本の精神構造を壊すために、連合軍が背後で日教組を作って日本人の誇りを失わせる教育を積み重ねて今日を迎えております。
その教育は何が流れているかというと、日本人のほとんどの方々が仏教に所属しておきながら、仏教の一番基本である「平等不平等即平等」という教えを実践はしていないということです。それが竹さんが、竹脇と名前を変えざるを得なかったという最大の理由であります。
そこでメシヤ様の御教えに基づいて対処していけば問題解決を許される訳なのですけれども、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団で教えを現代に実践するという姿勢が薄れてきているために、中々信者さん方を幸せに導いて行くことが出来づらい、そういう環境を生んでしまっています。
そうしたことが根っこにあるために先祖は悲痛な想いから気付いて欲しいために様々な浄化を起こすのですが、その浄化を浄化として真に受け止めることが出来るように指導していないために、また新たな曇りを発生してしまうということを繰り返してきている訳であります。
信者さん誰にも通ずることは「ひとつ気付いてひとつお詫びするとひとつ良くなる。」とういうことです。これは中村先生が御教えに基づいて実践されてきたことでありますし、信者さん方にそのようにお話されてきた内容だったと思うのですが、これに繋がるのが竹さんの体験記であると思います。
臭いの問題というのは“体の毒素の問題”と○○教団は取り次いでいるのですが、実は家庭の中にズーッと蓄積された問題点が自分の中で飽和状態になった時にそういう症状が出る、と話を聞いておりますと解釈できるのです。そうするとその問題の根っこを解決していかない限り、この問題は繰り返し繰り返し行われていくということであります。