「『文明の創造』科学篇  医学の解剖」(文創  昭和二十七年)

本文は『文明の創造』76ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 枚方支部】

「迷信を目覚めさせつつ、正信を広める」が革命

楳木代表

今月の御論文の『医学の解剖』というのを拝読させていただきますと、メシヤ様の御心を一番先に書かれているところが、

『と言っても別段医学を誹謗する考へは豪末もない。』

というところです。だからメシヤ様は医学を誹謗するということではなく、どこまでも真の医学をみんなに目指してもらいたいために指摘しているんだということですね。

楳木代表

次のところを読んで行きますと、医師と患者とのやり取りを指摘されておりますね。

『甚だ曖昧模糊御座なり的である。』『「入院すれば治りますか」と訊くと、「それは請合へない」といふやうに、実に撞著的言葉である。』

この60年も前の医療関係者に対する御指摘ですが、現在ここ10年ちょっとで、医療の世界、医学の世界ではやっとインフォームド・コンセントに辿りついたということですね。

やっと医者自身も気づいてきて、どんなことに対しても患者に明確に答えていくということですね。キチンとした答えをする医者ほど信頼できる医者であるというようなことを、インフォームド・コンセントという概念にまとめて、現在、医者はそれに取り組もうとしています。

楳木代表

それから次に、

『科学性が乏しいと言へよう。』

というふうに御指摘になっていますが、『科学性』ということが御論文の中に随所に出てきます。浄霊とか浄化作用の原理は、『神科学』だとおっしゃっています。

メシヤ様は、浄化に対しても、どこの毒がどう溶けているからこういう症状が起きているので、その溶けている場所を浄霊したらいいんだ、というふうに、非常に細かいです。ということは科学的な説明をしているんだということです。それを今回は御論文で、今の医学を一言にして、『科学性が乏しいと言へよう。』というふうに御指摘されているわけですので、そうしたところも心に止めていただきたいと思います。

 

転換できない最大要因・・・「頑なな独断偏見」

楳木代表

それからずっと進んで行くと

『現代医学の何処かに、一大欠陥がなくてはならない筈であるに拘はらず、それに気が付かないといふのは不思議である。といふのは全く唯物科学に捉はれ、他を顧みないからであらう。』

とあります。今度は、医療の指摘、医学界の指摘をしてるんだけれども、この場合は唯物科学に捉われ、ということですが、この『捉はれ』の部分は自分に当てはめて下さい。“捉われている考え方が自分にはないか?”と。

我々も子供の頃から小学校に入って、中学校に入って高校に入って、その上、先に進んだ人は大学に入って、それから大学院まで行った人もいます。それらは、いわゆる唯物教育の中にあって、自分達に刷り込まれたことに捉われているものを考えてしまうと、御教えがきちんと理解できないところがあります。

それからさらに成長していく過程で、いろんな人と出会って、いろんな人から意見をされたり、「おまえ人生はこんなもんだぞ」とか「世の中はこんなもんだぞ」とか、いろいろ教え込まれたものに捉われていくと、問題を起こして来ます。家庭内の問題にせよ、それから人間関係にしても問題が生じていくのは、そうしたものに捉われていくと、問題が起きてきます。

それから次に

『他を顧みないからであらう。』

とあります。『他を顧みない』ということは、そうやって問題の渦中に入った場合に、人がいろいろ言ってくれます。「あんた、こうじゃないか」と言われた時に、“もう、うるさいなぁ、こんな大変な時に”という気持ちになりがちです。この『他を顧みない』と、問題は解決しないということです。

だから、人の意見を聞く、それから自分を顧みる、そうしたことをしていかないと、自分の今抱えている問題は解決に向かわないということですね。

御論文では医学の問題点を説明、指摘されているんだけれども、この部分だけは、自分の中に“捉われはないか”“他を顧みているか”、そうしたことを絶えず自分に向けていっていただきたいと思います。今自分の抱えている問題を解決していくためには、この二つのことを絶えず自分に問いかけていってください。

先月も、“偏見がないか”自分に問いかけていただきたいということがありましたが、こうしたメシヤ様が御批判を加えている文言の中でも、自分に向けておかないといけないことも大事なこととしてありますので、この部分にもチェックをしておいていただきたいと思います。

浄霊は「自己と家族」、他人ではなく「支部」へ

楳木代表

それからですね、

『医師の家族が病気の場合、その父であり、夫である医師が、直接診療すべきが常識であるに拘はらず、友人とか又は他の医師に診せるのはどうした事か。』

ということがありますね。ここでは、二点しっかり見つめておいていただきたいことがあります。

浄霊というのも、他人任せにしてはいけないということですね。自分の家族が浄化した場合は、できるだけ家族が浄霊をしていくものであって、他人に頼むものではないんですね。自分が浄霊していくんだと。だから家族が浄霊する場合ですね、相手が具合悪ければ、こうやって柱に寄りかかってでも一晩中浄霊できます。

でも他人であれば、なかなか泊り込んで浄霊するということは、いろいろな問題がありますので出来ません。しかし、家族であれば、一晩中でも二晩で三晩でも、ずっとこういう柱なんかに寄りかかって浄霊すれば、一晩中でも浄霊できます。そして、良くなるまで浄霊できる、ということですね。これが浄霊の有難いところです。

御論文の医者の方では、家族の病気については、自分が診ると予断が入るから、知り合いの医者に診せるというようなことを、メシヤ様は御指摘されているんですけれども、しかし、その点浄霊はなんと素晴らしいことかということが一点あるんです。

 

それからもう一点はですね、具合の悪い方がいて、そこに浄霊に行きますけれども、家族が浄霊力をいただいていても・・、昔の話ですと、家族が「おひかり」をかけているけれども、浄霊はほとんどしないという家族がありますね。また、入会をしない未信者家族もありますし、入会しても初心者もいます。こういう場合には浄霊に行ってあげて大いに結構だけれども、しかし、一たびメシヤ様の御教えを読み始めた場合は、段々と、来てもらって浄霊をいただくということは人に迷惑をかけ始めるので、これはまた御守護いただきにくい状況ができあがってきます。

だからできるだけ家族に浄霊をしてもらうということと、それから具合の悪い人は支部に浄霊をいただきに来る。

しかし、支部の責任者から浄霊をあまりいただき過ぎると、支部の責任者が布教できなくなるので、これまた御守護いただきにくいということをメシヤ様は御指摘されていますので、責任者に、こういうところを浄霊しなさいということを指示いただいて、誰かそこに奉仕の方がいらしたら、まずその方から浄霊をいただいておいて、そして、その後に責任者から浄霊をいただくというふうに、責任者の仕事が充分できるような体制を常にとっておくということです。

そういうような形をしておかないと御守護いただくようにはならないということをメシヤ様はおっしゃっていますので、自分に当てはめて考えていただきたい、そういう御教え拝読の仕方をしていただきたい、と思います。

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【メシヤ講座 浜松支部】

楳木代表

『医学が真に科学的であるとすれば』 というところは、先ほど科学と読み間違えていましたが、ここは『科学的』でなければいけないので。どうしても間違えてはいけないところなので指摘しました。

 

一つは、ずっと長年そういうことに取り組んできた方々が、口から入れた薬がどういうルートで体に効いてくのかというのを図解とかを紹介している、一番基礎的な本があります。薬理学の基礎的な本が。これは最低信者さん方に読んでいただきたい本として紹介します。

それから看護師の皆さん方やそういう人たちが読むべき薬理学の本があります。これはどのように良い面と悪い面がどのような形ででてくるかということを理解するための本ですので、これは支部責任者やお世話する側の方々に読んでもらいたいと思います。

ですから、お世話する方々は、この本と、信者さんが最低読むべき本と2冊読まないといけません。いっぱい読んでもらいたい本がありますが、この2冊は読んで理解してください。その中には赤いシートがついていますので、それを大事なところだけ隠しながら読んで答えができるかというところまで、徹底的に読みこんでもらわないといけない、そういう本です。

そういうものに基づいて薬がこのように体の中に入っていって、理想論としては「効能を発揮してあとはすべて排泄していく」と。大腸のほうに分かれるのと腎臓のほうに分かれて、そこで排泄していくという、これが理想論です。薬理の。効いて、薬物を排泄すればいいのです。しかし、大腸を通って出るときと、腎臓を通って排泄するときに、メシヤ様は排泄しないというふうにご指摘されているので、ここのところが真に排泄したかしないかというところまでを、どの薬も発表していないので、メシヤ様はその点を御指摘されているということです。完璧に排泄できていれば良いのですが。

これは何度もメシヤ講座で触れますように、何故覚せい剤が危ないのかというと、人間の体の中で作られた快感物質は、人間の体の中でできたものなので、人間の体の中で分解し排泄することができます。しかし「よそから入ってきた快感物質は人間の体の中で分解することができないので、蓄積されてきて、これが人間、人格を破壊していくので覚せい剤はやめましょう」と的確に医者が説明しています。これが排泄される物質だったら、いくら覚せい剤を使っても問題はありませんが、排泄されないために中毒症状が起きて、人格が破壊されていくので覚せい剤はやめましょう、と医者が説明しているにもかかわらず、よそから入ってきたものが分解されて外に出るという説明はおかしいので、そこのところをということですので、『科学的な』というところを、よくよくチェックしておいてもらいたいと思います。

 

医師の役割

楳木代表

さて、それから今のところから、ずっとまたいきますと、今度は、『医師によっては自分自身医療を余り信用せず精神的に治そうとする医師もよくあり、老齢の医師程そういう傾向がある』とおっしゃっています。

そうしますと、蘭学が入ってくるまでの、江戸時代前期の医者はどうやって病気を治したのですか?まあ病気は治ってないのですが・・・。医者は何をしていたのでしょうか?私は何回かここでお話したと思うのですが・・・。覚えてないかな?いわゆる江戸時代のドラマ「大岡越前」に養生所とかいうのが出てましたよね。それよりもうちょっと前の時代です。おおよそ患者を慰めていただけです。それはなぜかというと、例えば怪我をしたとき、切り傷のときにはどうやって治していましたか?何か塗っていたでしょう。

参加者

アロエを塗っていました。

楳木代表

だいたい時代が新しい人はアロエを塗っていました。それからうちの方では、通称“ふつ”と言っていたのですが、ヨモギにつばをつけて青い汁がでるまで揉んで、それを傷口に当てているとだいたい治ります。これは太古の昔から、経験を積み上げて、「こういうときにはこれを塗れば良い」というのは、みんな経験としてもっていたので、大概のことは対応できたのです。知恵で。

しかし、それでも尚且つ大怪我をしたりすると時間がかかるので、医者が診てあげて「こんなことをやっているから、こんな怪我をしたのだよ。だから生き方を改めないといけないぞ」とか、「ついでだから言うけれど、おかみさんを大事にしなさい」とか言って、医者がそのとき叱るわけですね。すると「あー、嫁さんを大事にしないから、こんなところを怪我してしまったのかな」 とか考えてそれが良くなってくると、「これからお前を大事にするからな」とかいうようなことを、ぼそぼそ話し合いをして、夫婦仲がよくなったりしてね。そんなことを医者がやっていたのです。これが医者の務めだったのです。患者の話を聞いてあげて、医者というのは頭が良いからね、その中から原因を見つけてあげて、ここを直しておかないとこの家庭はうまくいかないなということを指摘してあげたりして、みんなうまくいったのです。

うまくなった理由というのは、もうみなさん江戸時代のことは覚えていないのでわからないと思うけれど、江戸時代の時代劇とか見ていて、長屋を見ていたら、どんな生活をしていたかわかりますね。2間くらいのところで、となりは別の人が住んでいて、そこにはトイレがありません。それは以前、お話したことがありますね。トイレは小のほうは桶を入り口に置いていて、男も女もそこにまたがっておしっこをしていたのです。皆さんもしていたのです。前世では。「そんな恥ずかしいことしていませんよ」なんて言ったところで、していたのです。だって、みんな腰巻しかしていないのです。してない理由はパンティをはいていないのです。そこでまたがってするために長い腰巻をして、見えないようにして、していたのです。西洋のロングドレスもそうでしょう。広がっているのは何のため?草むらとかでトイレするときに、見えないように、あれの下でトイレをしたのです。

だからトイレをするとはじいて臭いから、香水が必要だったのです。そういうことになっている。で、大きいほうのトイレはないので、街角に便を積み上げていったのです。だから今がいかに清潔な生活をしているかということです。だから菌に弱いのです。清潔すぎるので。その一番顕著なのは、ウォシュレットを使いすぎて、痔になるということです。あまり汚い話になるから、これくらいにして。

これが、自然宗教が起きてきた理由です。で、自然宗教の役割がそういう、慰めたり家庭の問題を解決したりするためにあった。それと、そういう薬草から加わったのが医療としてできて、この医療と宗教というのが、人々の苦しみを解決してきたというのが、今までの歴史であったわけですね。

それから下から3行目に

『私は世の中にも偉い医師もあるものだと感心した事があった』と。

メシヤ様も『偉い医師が世の中にもいるなーと感心した』と告白してくださっています。その御心は何かというと、真実がわかった、真理がわかった医者というのをメシヤ様は評価されていたということです。これが先ほどの透析のことを論じている医者でもあり、「70歳からはガンになっても治療を受けるな」という指摘をしている医者であり、そういう医者が必ずいるということです。しかも、その医者のことはメシヤ様も『偉いもんだなー』 というふうに評価を与えているということですね。

 

【平成23年12月メシヤ講座 各支部より】

 

 

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