御教え集6号 ③洗練された言葉、態度、考え方を心掛ける

あまり・・・めったに話をしないことを・・・ちょっとためになる話と思うので、その話を先にしますが・・・私はよく映画を見ますが、そのときに・・・アメリカ映画ですね。その言葉が字幕に書いてありますね。あの言葉が、実に洗練されているんですよ。日本人の言う言葉よりね。いつも、私は感心するんですが、そう考えてみると、日本人の言葉がまことに洗練されてないんですね。だから、信仰者として人に話をする場合も、洗練された言葉を使うように心掛けるんです。これはある程度実現できるんです。というのは、洗練されると言いますと、急所を言うんですね。あまり無駄とか、ずれたことは言わないんです。実際に事実によく合っている事柄の表現を、上手く言い現わすということですね。これが法なんです。法にかなうとか、法があるかというのは、言い換えれば道なんです。道にはずれないように、道に合うようにと言うのは、それなんです。これは、ひとり言葉だけではない。挙動から態度、考え方、行なうことが、みんなそれに、はずれないようにいくんですね。譬えて言えば、人の家に行って格子を開けて、玄関に上がって挨拶をし、それから部屋に坐って、そこの家によって・・・相手によって、坐り方も話の仕方も、やはり違わなければいけない。話でも、招ばれた場合の態度と話もあるし、それから先方に、こっちの都合で行って話をするのと、それから話の内容ですね。先方に対する言い方から、受け入れさせ方・・・そういうことも、やはり法があって、でたらめではいけないですね。一番困ることは、自分り言いたいことを言って、先方にしゃべらせない人がありますが、これがもっともいけないですね。話し上手より聞き上手・・・で、相手の話を充分聞いてやって、それに応じてこっちが話をする。そうすると、先方は気持ちよく、話し合える。それから大勢の場合に、人が話をしているときに、口を入れる・・・ひどいのになると、大きな声で、先方の話を打ち消すようにするんですね。その代表的なものが、日本の議会ですよ。しゃべっていると、打ち消すようにする。それから、地位のある人の会合ですね。大きな声で、しゃべっている人の話を打消す・・・ああいうのは悪いですね。そういうのは、歩き方にも態度にも、いっさい法があり道がある。そうして道も・・・相手によっていろいろ違わなければならない。女は女に、年寄りは年寄りに、インテリはインテリらしく、平凡な人は平凡に、と合わしていく。合っていく・・・これが応身の働きです。

そういうことがちゃんと・・・そう理想的にはいきませんがね・・・なかなかね。いくぶんでもそういうふうに、合っていくと、その人の運命に非常に良くなっていく。人に好かれないとか、人が賛成しないとかいうのは、相手の罪ばかりでなく、こっちにもあるんですよ。一番ひどい・・・いけないのは、嘘を吐くことでしょうね。嘘を吐くのも、悪意ではなく一時的に嘘を吐くのがあります。一時的に嘘を吐くと、相手が喜んだり感心したりしますからね。ついおおげさに言ったり、大掛かりに言ったりする。そうすると、あいつがああ言うんだから、実際はこのくらいだろうと割引される。私なんか、割引しますよ。だから、たまたま本当言っても、割引されちゃって、つまらないですよ。嘘を吐かないんですね。あの人がああ言うんだから本当だ。と、その信用がたいへんなものです。どうも、人が信用しないとブツブツ言う人がありますが、独りよがりだから、人ではなく、自分にどこかやり方にいけない所があるので、それを省みて発見しなければならないですね。こんなことは、たいして問題にすることもない・・・つまらないようなことであるようで、肝腎なことですね。それから愛嬌ですね。からお世辞なんか言うが、あれもいけないですね。信用にかかわるんです。あいつはああ言うが、腹の中はどうだか解らない、となる。一つの臭味がつきますね。正直に言うことは、少しは先方を非難するようなことでも、良くとられるものです。私なんかも、ずいぶんひどいことを言うことがありますよ。しかしどっちかと言うと、先方を気持ち良くさせたいという気持ちで言うから、滑稽に言う。それで先方がああと言って反省する。そういうことになると、難しくなりますが、結局相手を気持ち良くということが肝腎ですね。

 

【御講話編6 p368】

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