自分の周りには教育係もいるし叩く係もいる
参加者:権力者というのは、この間分かりましたね。現実の自分と前の世の自分とのギャップがあるから、必要以上に叩かれてきましたね。やっぱり。自分では偉そうではなくて、頭を下げてお世話業の中でやってきたつもりでしたが、腹と口が違うとか、ある人から言われましたしね。分かる人には分かるんでしょうね、いくらぺこぺこしても、あんたの根性はそんなもんではないというのが・・・。何人も居ましたがね。
代表:分かるという世界と、その人達は使われていた、神様からね。あの人を叩いておかないと、昔の『夜の時代』の癖を出すと御神業に使えんから、いざという時に、御神業に使うために、お前とお前とお前で、しっかり叩いておけと。
よくあるでしょ、大本教のお筆先(※)に曰く「神様の世界は、奥の奥のそのまた奥のまた奥の仕組みなんだ」とね、だから配置がすごいんですよ、叩くね。それから叩くだけじゃなくて、教える配置もしてますから。色んな人が、○○さんに、実はこうなんだよとね。教育係もいるし、叩く係もいるしね。
(※)大本教のお筆先(参考)『神の奥には奥がある、その又奥の奥の仕組であるから、人民には分りよう筈がないぞよ、神界の事は分らんと思う人民は、判ったのであるぞよ』 |
参加者:専従を入れたら、100人以上には世話になりましたね。(爆笑)座談会なんかしてもコソコソと言うんですよ、「言うことと腹は違う」と。ある時、この人と一緒の時、「あれ私のことよね」と言うと「そうじゃろうなぁ」って、「言ったら!」と言われて (爆笑)今日こそと思って、その人がトイレから出るのを待って、県本部の玄関前まで腕を掴んで引っ張って行って、「あれ、私のことじゃろ、もうええ加減にしようや」と言って、「あんた、色々な、言ってくれとるじゃろ」て言ったら「うちは、あんたの事なんか言うとらん」と言うから、「わかった、私が一旦口を切ったら引かんからな」と言って「大勢の人を巻き込んで徹底して白黒つけるからな」と言ったんですよ。ちょうど休憩の時だったので、みんなが見てるんですよ。
このお姉さん「言ったら!」と言うんですよ。(爆笑)それからね、完全におとなしくなりました。その代わり今度は地下に潜って「私に怒られた」と言い続けたらしいです。この人は執拗でしたね。しかし、最近はすごくやさしくなりましたね。だから役目はして下さったんですね。
代表:その時期だけね。その時期だけ、担わされたんですね。
参加者:「あんたは怖いわねぇ、何年?」って言うから「寅」って言ったら、「ああ、やっぱり」って。(大爆笑)
代表:そういうふうに詰めた人も詰めた人だけど、やらした人もやらした人ですね。(爆笑)
何か、三千年来の霊の世界が全部浮き出るような話でしたね、今のは。
《叩き役も神様からの命令、 しかし叩いた反動は自分に来る》
参加者:私は言われても仕方がないと凄く思ってきたから、一々相手としたことはないんですよ、どんな人とも、それがあの人だけは、一度だけそれがありましたね。
それが、年を取って体がゆがんで、どこのおばあさんかというような感じで・・・。
参加者:魔女みたいになっていましたね。(爆笑) 体がゆがんで、こういうふうに歩いてて。昔の面影はないなぁって感じました。
参加者:彼女は多くの人を磨きましたけど、私が一番憎らしかったんでしょうね、彼女にとっては。(笑)
代表:色んな使命をいただいて、その人も大変でしたね。それでね、使命があって人を叩くんだけど、これはね大変、人の人間の人生というのは、辛いところがあってね、人を切ったら返り血がくるので、叩くのは神様の使命で叩かされるんだけれども、叩いたら叩いたで自分に返り血がかかっているから、自分がこうなってしまうんです。
参加者:そうでしょう。返り血浴びてますわ。
代表:だからこれね、人生では非常に何とも言えない法則があるんですよね。メシヤ様も今はメシヤ様という高い地位にいらっしゃるんだけど、しかし、非常に厳しい人生を主神様から歩まされたわけですね。病弱な体のことからしてね。そして婦人病以外全ての病気をしたというくらい、ありとあらゆる病気をさせられて、家庭生活も一回奥さんを亡くされているとか、子供も亡くされてるとか、非常に人生的にはどん底を歩まされているわけだから。
これは、高い使命があるからこそ、主神様からそういう人生を歩まされているわけなので、何とも言いようのない人間の辛いところです、これは。だから、叩く役目も神様から命じられて叩いているんだけれど、叩いた反動は自分に来るので、自分の人生は、非常に最後は辛いものになってくるんです。それもやはり、その人その人のいただいた役割なので、是非我々は、メシヤ様の御手足の側に立たせていただくということに、何時も心を向けていっと
かないとね、だからまあこれからは、今日、こういう話をこういう月次祭の場でしたので、その人に磨きの御用に対する感謝を捧げて、体のゆがみが少しでも矯正されていけれるようにしてあげたら、思いだけはね。
【平成24年6月メシヤ講座 岡山支部より】