参拝・奉仕について

参拝と奉仕について

参拝は自分の好きな時に、来たいように参拝するという姿勢は、参拝者が中心の参拝になってきます。しかし、支部の都合はどうかということをお尋ねして参拝すると、支部を中心のお祈りになってきます。それから月次祭は、代表の都合とか、それから神様側の都合によって月次祭の日時が設定されます。

そうすると、その月次祭にお参りするということは、神様側の都合に合わせて参拝するということになります。ですから、どこまでも自分中心の参拝にしないで、『神様側、あるいは支部側に合わせた参拝をさせていただく』という姿勢を先ず培っていただきたいと思います。そして、支部へお参りしたら必ずどこか、いわゆるプライベートな場所へ立ち入らない程度で清掃奉仕をしていただいて、尚且つ、“どのように掃除をしているか”ということまでも学びながら、掃除をさせていただいて、その学んだことを家で実践する。これが奉仕のですね、実は支部での奉仕のあり方であります。

今までは、センターとか、布教所とかあるいは県本部とか、そういう所の日直のように「当番だから行く」というような奉仕の体制だったと思いますけれども、奉仕だけの目的で出向き“我が家で活かす”姿勢というものが希薄であった、と思います。実は、そこの奉仕で学んだことを我が家で取り組んで、家がきれいになってくる、家の霊界が整ってくる、あるいは家が幸せになってくる、これが奉仕として成り立っていかなければ奉仕をした意味がほとんどないという位まで受け止めていただいて、我が家を天国にするという、そういう信仰を培っていただきたいと思います。これが参拝とか奉仕を支部でさせていただく時の大原則として持って置いていただきたいのです。

 

●神社に参拝する場合、御玉串料を供えた人のみが参拝した事になります。これは神律です。私が初めて体験したのは学生時代ですが、私の祖母が危篤状態になり浄霊をしている時です。意識が無くなったり、戻ったりを繰り返しているうちに、「遂に私も最後になったので、お世話になった神様にお礼参りをしてくる」と言って、また意識が無くなりました。しばらくして、意識が戻り、「お参りに行ったが、御玉串料を持っていなかったので中に入れなかった。誰か届けてくれ」と言ってまた意識が無くなりました。弟が届けに行き、浄霊を続けていますと、しばらくして「今度はゆっくりとお参りができたので良かった。これで思い残すことは無い」と述べて、それが臨終の言葉でした。88歳での素晴らしい旅立ちでした。私は、その事を生涯の宝として、それ以来どのような神社であろうと参拝する時は御玉串料を持参するようにしています。

と仰っておられますので、支部に参拝や奉仕に来られる際には誠のお玉串をお上げさせて頂かないと参拝したことにはならないということですね。

 

 

 

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