黴菌論
そこで、愈々黴菌論であるが、人体の汚物とは勿論血液の濁りであって、此濁りを無くして了うには、どうすればいいかというと、神様は洵に面白い方法を作られた。それは黴菌という目にも見えない細かい虫によって掃除をさせるので、そこで神様は此虫を湧くようにした。即ち黴菌発生の根源を作られたのである。此事に就いては拙者『文明の創造』の中の「科学篇」中に詳しく出ているから茲では略すが、兎に角黴菌という微生物は、最初濁血所有者の血液中に入り込み、濁血を浄血にする役目をするのである。それはどういう訳かというと、濁血というのは血液中に有ってはならない、言わば不純物が存在しているのである。面白い事には不純物という微粒子は、実は黴菌の食物になるのであるから、黴菌はそれを食いつつ、非常な勢を以て繁殖し、食うだけ食った奴から、排泄物に混って体外へ出て了うから、順次濁りは減り、遂に浄血者となるのである。其際の発熱は黴菌が濃度の濁血では食い難いから、液体に溶解して食い易くする為である。だから此理が判ったなら、黴菌というものは、全く人間体内を清浄にする掃除夫なのであるから、大いに歓迎すべきものなのである。処で問題なのは、一体濁血というものは、どうして出来るかという事で、之こそ万有相応の理によって、実に合理的に造られるのである。
というのは人間は神様の定められた役目を自覚し、それを正しく行えばよいが、多くの人間はつい不正や過ちを冒し易いので、その結果霊が曇り、霊が曇ると血が濁るので、それが病の元となり、苦しみとなるのだから、つまり過ちに対する刑罰という訳で、斯うしないと人間は正当に役目を果たさないのみか、世の中へ害を与えるから、止むを得ず神様はそういうように造られたのである。従って人間が正しい行いさえすれば、濁血者とならないから黴菌は湧かず、病気は此世から無くなるのである。之が真理であってみれば、病菌というものは人間が作って、人間自身が苦しむのであるから、何と愚な話ではないかという其事を教える為に、此文をかいたのである。(自観)
【著述篇9 P415 黴菌は有難いもの より抜粋】