『文明の創造』宗教篇 霊的病気 精神病と癲癇 (文創 昭和二十七年)

『文明の創造』宗教篇 霊的病気 精神病と癲癇 (文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』284ページに記載されています。

 

代表先生

霊的病気のですね、最後の項目でこうして『精神病と癲癇』ということでメシヤ様がまとめて下さっておりますが、このタイトルとは別に、メシヤ様が人間の存在とは一体どういうものかという形で多くの分量をもって説いて下さっています。そして、その人間の存在が信仰を持つ意味というものをまたメシヤ様はここで説いて下さっていますので、私達のいわば人間観、あるいは信仰観というものをここでメシヤ様が凝縮して書かれている部分を受け止めてですね、ここは長いんですけれども、自分の腹にしっかり入るように繰り返し繰り返し拝読していただきたいと思います。それほど大切なところであると受け止めていただきたいと思います。

冒頭、メシヤ様は、医学は精神病患者などに手術等を用いてするけど、そういうことしか唯物科学ではできないというふうに解説して下さっているんですけども、NHKの映像などで見たことがあると思いますが、戦時中ドイツ軍は、当初癲癇の治療のために頭蓋骨を開けて脳に電極を当てていろいろ調べている時代がありました。そして結局右側のですね、この耳の上に脳に亀裂がありますけど、そこがシルビウス裂という、ここに電極を当てると幽体離脱をするというところまで、その当時突き止めております。ですから脳に電極を当てたりすることを通して、アメリカの方の研究機関で「幽体離脱体験コース」とかいうのがあります。それで本も出ております。それからそういう科学的に精神的なもの、あるいは霊的なものを見つめるという道も少しずつできてはおります。

そういうことがあるので、ヨーロッパの方では霊的な研究というものが非常に進んでいる部分があります。日本はなかなかそういうことの研究が突き詰めてされてないところがありますので、今日も先程木原さんと話していたんですけど、やっぱり精神科が日本の場合はまだまだ劣っているということがあるということで・・・、あるところで春に面談した人の娘さんは知的障害・・いわば昔から言われている知恵遅れの状態で産まれて来て、そして「なんとか御守護いただきたい」ということで、東方○光教団に入信して、その時に療院の医者にかかって、その紹介で精神科にかかるようになって薬を入れたために、今度は精神病になってしまった。

それで時々異常行動を起こすように・・いわゆる知恵遅れの子供ではない症状まで出るようになってしまって、非常に悩んでおられたので、お会いして、今後のことをいろいろアドバイスをしたんですけど、それからできるだけ薬をやめるようにして浄霊をすることになったら、今二十歳前なんですけど、長年精神状態が3歳半だったんですけど、薬を止めて浄霊をするようになった今4歳半まで精神年齢が上がったという報告をしてくれましたけれども、ここまで来れば普通であれば就業できるそうなんです・・そういう施設に入って社会に出て行くことができるんですけど、残念ながら精神病を患ってしまっているので、施設の方が受け入れることができないという・・。

しかし、“なんとか精神的なものが安定してくれば社会人として世に出るような状態になっていくんではないかな”と、今、期待しながらお世話をしてくれてる人に、浄霊を中心に、その人が御守護いただいくように取り組んでいただいております。取り組んでいく中で、そのお母さんが、今まで夏の間弁当とか持って行くのはいろいろ大変なことがあるんですけれども、一応家族全員のお弁当を作ったり、家の掃除をしたりとか、そういうことで生活面も非常に取り組んできているので、今まで東方○光教団のセンターへ行ってお参りするとその子供が祭典中ウロウロしたりしてお母さんがそれを追っかけて非常に困っていたのが、そういう行動を起こさなくなってきていると・・。

“もう少しだな”と思うんですけど、この場合薬によってその憑依霊が憑ってしまったということですので、今回の憑依するものは狐が80%、狸が10%、その他が10%ということですので、まぁウロウロするというのはどんなものかというのはだいたい予測できると思うんですけど、それが薬毒がとれてしまって固結がなくなれば、憑依するものがなくなっていって御守護いただけるんではないかなというふうに思いますが、こういう取り組みの上で、この本日拝読したところは、“非常にこういうことがあてはまるんではないか?”ということを考えるその教材としては非常にありがたい内容ですので、それに、問題を解決する時に当てはめていくことができる内容がビッシリ詰まっていますので、繰り返し繰り返し拝読をさせていただいて、自分の腹に入れておいていただければありがたいと思います。

今日拝読させていただくと285ページの『両延髄及び淋巴腺付近に固結がある』ということですね。そこに固結があるから前頭部が貧血を起こして貧霊状態になるから、そこに憑ってくるわけなので、浄霊をする場所はそういう所であるんですけれども・・。薬を処方しているために、そこに固結を生んだから精神病になったということです。ですから浄霊をする場所は、薬を止めて両延髄部及び淋巴腺付近の固結を浄霊をしていけばいいわけなので、そのことを4月に話をしてあげて浄霊をするようになってから、そういう異常行動というのは大分治まって来たと。それから物を食べ始めると止まらないので、ずっとテーブルにあるもの全部食べてしまうので、やはり体がかなり膨らんできてしまっていたんですけど、そうしたことも大分治まって来たということで、ここの固結が全部とれていけば、近い内に社会人になっていけれるんではないかなと思います。

信仰をする意味

代表先生

この『文明の創造』という本は、メシヤ様が地上天国を建設していく設計書として改めて書かれたものであります。しかも、信者さん向けというよりも外部に向けて、どなたが拝読しても分かるようにメシヤ様が何回も書き改めてこのように纏めて下さったものですので、私達は信仰して世の中を救っていこうという時には、この『文明の創造』をですね、丸暗記するぐらい拝読していけば、自ずと人を救っていけれるということです。そしてそれを習得した時に、自ずと救ってほしい先祖が働き始めて、大勢の人に出会うことができて、浄霊しつつ、御教えを話してあげればその人は救われていくわけです。そういう人がまだ出会わないという時には、自分自身がまだ『文明の創造』を習得してないというふうに受け止めるぐらいの気持ちで、生活をしていきながら拝読していただければいいと。

「みなさん方は出来てませんよ」ということではなく、「そういうことを目指して行きましょう」ということですね。

木原

正確にいうと、それが本当の意味での(救いの)資格の一つ、ということですよね。


代表先生

そうだね、だから信者としてメシヤ教に入会して、「信者らしく」なるためには、これをすべて習得していくということが一つの手であるんだということですね。そういうことを目指していくためには、本日拝読をした『精神病と癲癇』というのは、非常に「人間とは何か?」ということが分からせていただけるし、その人間にとって「なぜ信仰が大事なのか?」ということが分からせていただけますので、非常にありがたいところであります。

細かくいろいろ見て行きますと、他の今まで拝読をしたこの『文明の創造』以外で、「天国の礎」とかですね、そういうものを拝読していく中で、メシヤ様が軽い精神病を指摘しておられますよね。例えば、入って来てメシヤ様に御挨拶をするんだけども、横を向いて御挨拶しているとか、これは我々の日常でも起きてくることであります。人と会った時「こんにちは、久しぶりです。」と言うんだけれども、よそを向いて言っているということがお互いにありますよね。その時には、自分の中には何十%とかはそういうものに邪魔されてるということですね。

上位人間として上の方に行くと10%~20%ぐらいなんだけど、少し下がってくると30%~40%。お互いに30%~40%ぐらいの時には変なことばっかりやってるということ。

だから、そういうことを「段々段々と高めていくのが、実は信仰を向上していく道なんだ」と。そして「信仰が向上していくと、やるべきことがきちんとやれるようになっていくんだ」ということを、また本日拝読させていただいたことに照らして考えていくと段々と深まりが出てくるんではないかなと、そういうふうに思います。

それからまた大切なことは、神様から人間の使命がある人ほど磨かないといけないので、非常に苦痛を与えて、その人の天性を磨かせるということがありますので、“私どうしてこんなに大変なのかしら?”と思えば思うほど、実は使命があるんだというふうにメシヤ様は先ほどのように書いて下さっていますので、その苦痛を通して自分を磨いて、そして天性あるいは特性を磨いて・・そうしたものをさらに磨かせていただければ大変有難いというふうに思います。

それからもう一つ大事なことは、人間には善・・絶対的な善と、それから悪というものを持っております。しかしこの善悪は決定づけてはいけないというふうに書かれております。決定づけてはいけないというのは、勝敗を・・勝負をつけてしまってはいけない。これが善が100%になって悪が0%になってしまうと、その人は物を食べなくなっていきます。要するに動物霊が活動しないので、物を食べなくなるし、「何かが欲しい」ということもなくなってしまうので、その人の活動力が鈍ってしまう。

これは昔の『天国の礎』の中では『解脱しすぎてはいけない』と書かれていることと同じことでありますので、『夜の時代』はそういうことが分からないために、決定づけないと収まらないような性分が・・“あの人はやっつけないといかん”というのが・・、この善悪を決定づけないといけないというような性分が、『夜の時代』の中に残っていますので、それは我々がそういうのに左右されていつも生きております。これが日常生活の中で起きている内容であります。しかし「人間とは一体何か?」そういうものが分かってくると、こういうふうに、善悪を最終的に決定づけるまでしてはいけないということが分かってきます。

そうやって分かっていくというのが、実は人間として人間というものが分かったということになっていくんだということを、本日拝読したところから見て、自分の中にしっかり取り入れていっていただきたいと思います。

 

【平成26年9月メシヤ講座 旧大阪支部より】

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