御光話録10号 ①前頭部と臍とで天と地になっている

(お伺い)

「前頭部の奥と臍とで天地になっている」とのお言葉でしたが、これは前頭部の奥にある本霊と腹部に宿る副霊とで天地になっているという意味でしょうか、それとも別の意味からでしょうか。

 

『これは副霊ばかりじゃないんですよ。やはり本霊があるんです。本霊が二つになっているんです。なんでもそうで、いっぽうばかりっていうことはないんです。天に日月があるごとく、片方があれば必ず反対の片方があるんです。この調和によって一つの活動が続けられるんです。だからすべてに陰陽があるんですよ。そういうわけだから腹にも本霊があるんで、これが一つの活動の元になってるんです。で、ここの前頭部の奥が理性、智慧で、記憶や考えることをするんですよ。だから考えるときには額に手をやるでしょう。それで煙草を吸って、煙草の煙が口から鼻へ抜けると、前頭部の中を刺激して活動を促進するからいいんですよ。つまり神道のほうでいうと、ここは奇魂ですね。それに対して腹は荒魂ですよ。勇気、胆力ですね。よく「あの人は腹ができてる」とか言うでしょう。つまり前頭部の奥で考えて、腹で実行するわけなんです。それから後頭部は感情なんです。喜怒哀楽ですね。この三つが総合して人間の考えになり活動に表れるんです。そして、それが一致する場合と摩擦する場合と両方が始終あるんです。感情ではやろうとすると、ところが理性は止める、それをすると怒られるとか、罪になるとかなんとかだからっていうわけですね。しかしどうしても感情ではやりたい、とこんなふうに始終闘っているんです。そして、それを実際に行動に表すのは腹なんです。腹が命令するようなもんですね。そういった具合に天地になるわけです。だから副霊と天地になるというのは違うわけですね。』

 

【御講話篇2 P222】

 

 

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