御教え集22号 ③理屈に合わなければ神様はどうしようもない

理屈に合わないことをすれば理屈に合わない結果になってしまいます。少なくとも信仰にはいってながら堕胎などをするということは、とんでもない罪を犯したのです。それも、あとのやり方が理屈にあっていて、そうして非常に悔悟して、自分はとんでもない間違ったことをしたと言ってお詫びをすれば、あるいは助かったかもしれないが、そういうことも支部長はあまり言わなかったらしいので、私がそう言ったらびっくりしていました。そうすると支部長のやり方がもっとも間違っていたのです。それでも支部長がそれに気がついて、心からお詫びをして、父親か母親に子供の浄霊をさせるというようにすると、助からないことはなかったが、神様は厳しいのです。しかし理屈に合えば、神様は愛ですが、理屈に合わなければ神様はどうしようもないのです。神様は御利益をいくらでも与えたいのです。ところが資格がないのです。たとえてみれば金銭にしても、神様はいくらでもザルなり財布なりに入れてあげたいのですが、この財布の中に汚いものがあるから入れられないのです。それを掃除すればよいのです。ですから人間のほうで命を助かりたいときには、人間のほうで助かる状態にすれば良いのです。それをしてないから、神様のほうにも規則がありますから、神様自身がその規則を外すことはできないから、助けたくても助けられないということになります。大本教のお筆先に「お蔭は御自分でとりて下されよ」というのがあります。それで慢心と取り違いを非常に戒めてあります。

 

【御講話篇10 P250】

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