御光話録 ①光明如来と日月地大神の相違について

(お伺い)

光明如来と日月地大神の相違について御教えを願いたいのですが。

 

『結局同じもんですがね。つまり最高の地位になられた場合「日月地」です。「日月地」は大神で神の位です。これで五六七となってお働きが完全になる。光明如来のほうは火と水です。観音様は火水土ですが、土が少しなんです。なぜ土が少ないかと言うと、これは私が出てから加わったからです。観音様は慈悲のお働きで善悪無差別、一切衆生すべてを救うお働きであって、あいつは悪いとか、こいつはどうとかいうのは観音様ではない。観音様の御本体は国常立尊で、北海道の芦別山におしこめられてから霊界で閻魔大王

となり審判のお働きをされる。従ってすこぶる苛びしいんです。ところがそれだけでは人間がやりきれぬから慈悲の神として現われたのが観音様であり、神や如来の地位では高すぎて衆生済度ができないから菩薩の位に下がられたんです。それが一段上ったのが光明如来です。いままでは観音様を拝んでも御利益はあったが弱かったんです。壷坂の沢市の話のように御利益はあったんです。そこへ土が加わると力が強くなる。土とは人体です。それが光明如来になると火と水ー光が強くなる。今度離して御浄めするようになったのは、光明如来のお働きで、くっつけてしていたのは観音様のお働きです。そして土の力が完全に強くなられたのが「日月地」です。

私は昭和三年から六年間菩薩、九年から一五年まで如来、一六年から二一年まで「日月地」の働きをしていたのです。これは霊界であって現界は去年から「日月地」になった。一昨日まで私も治療したが、去年からできなくなった。それは位が高くなって大衆と離れたためなんです。』

 

昭和二三年三月二八日

【御講話篇1 P380】

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