御教え集7号 ①天国を造るには、まず一番の元は自分

メシヤ教のほうは、昼の世界の信仰です。天国を造る宗教です。いままでの宗教で、天国を造ると言った宗教はないんです。来るということは言ったが、造るということは言わなかった。時期が早かった。ところが今度はいよいよ昼間になるんですから、今度は造るんですね。そうすると、天国を造るには、まず一番の元は御自分ですよ。自分が天国にならなければならない。けれども、自分の境遇や家庭を、急に天国にすることはできない。だから、その因である自分の心ですね。心を天国にする。そうすれば、一家が天国になり、一国が天国になり、世界が天国になるんですから、まずなんといっても心を天国にする。そうすると、いろいろなことで苦しむということは天国ではない。

一番解りやすいことは、病人なら病人を浄霊に行く。そうすると非常に愉快な楽しい家と、なんだか気の向かないが、嫌々ながら行く家と両方ありますね。そうすると、なんだか気の向かないというのは地獄ですから、本当は避けられれば避けたほうが良いんです。楽しいというのは、良いし、そういう病人は治りが良いんです。発展するんです。けれども、全部が全部そうばかりはいかないですがね。それはまるでわがまま坊ちゃんみたいでね。そうばかりもいかないが、原則として、そこに重点を置く。神様もそれが思し召しですがね。それが、天国的信仰と地獄的信仰です。そういうことは、神様にお任せすると良い。どこまでも人間の力でやろうということがいけない。ところがいままでいろんな・・・習慣やそういうような一つの思想を植えつけられてあるので、ともすればそういう心が起こりやすい。で、自分で目的を立てて、それを実現しようとして骨を折るんですが・・・それは人間は目的なしでやることはできないから、良いですが・・・どこまでも進むから、そこで無理になる。

無理になるから、そこで、逆結果になる。その点を良く心得ておけば、かえって楽にうまくいくんですね。私なんかは、最初はそうではなかったが、そのことが解ってから、そうやってますが、少しやってみて、思うようにいかないと、神様に任せておく。忘れるようにする。そうすると、忘れた時にヒョッとうまくいく。ということがよくあるですね。信仰でも、地獄的信仰、天国的信仰と、こうあるんです。いままでの信仰は全部地獄的信仰です。

で、メシヤ教で初めて天国的信仰という信仰が生まれたんですね。その点の区別ですね。それをよく知らなければならないですね。だから、こんな楽なことはないんです。楽にやるほど成績は良いんですからね。

 

 

【御講話篇7 P66】

 

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