明日では遅すぎる 

『栄光』一六〇号、昭和二七年六月三日

明日では遅すぎる


之は時々ある事だが、最早死の直前に迄追込められた病人で、お蔭を頂き一旦快くなって喜んでいると、再浄化が発って迷い始め、前の事を忘れて、再び医療に縫るが、無論成績が悪いので、再び浄霊を求めに来るが、斯ういう人は殆んど助らないるのである。之はどういう訳かというと、神様は無い命を一度は繋いで下さるが、それを離すと、二度は決して繋いで下さらないからで、之が神律であるから致方ないのである。従って信者は此事をよく心得て中途で迷って、再び縫って来ても、気の毒だが其つもりで扱うべきである。左の一例はまくそれを示しているので、此文を添えた訳である。(一0・五二七)

 

N中教会 ○・W


私は最近、身のひきしまる様な、異様な体験を致しました。
その事を、御報告して、一般信徒の方や、未入信の人々に訴えたいと思うのです。其人がN町の出張所に来たのは、たしか去年の暮だったと思うのです。心臓が悪いと言って居りました。確かに尿で全身がはれ上った様な、色の黒く、黄色い五〇を幾つか越えた年頃の婦人でした。
階段をあがって来た時は息が止って了って、苦しそうでした。翌日、其人が、子宮癌で医者の見離した病人を連れて見えました。昨日、御浄霊を戴いてから、ずっと呼吸も楽に成り、結果が良いのだそうです。
それから四、五日か、一週間も続けたでしょうか、人の話では、心臓も楽に成ったので山に出て働いているとの事で、出張所には来なく成ったのです。私も余り気にも止めず、それから一カ月半程、子宮癌の人に力をとられて、去った人を
追いかける事もしませんでした。その間に、子宮癌の方は、多量の下りものがあり、結果が良くて二カ月もたった頃には起きあがって庭の掃除等も出来る様に成りました。まだ下りものがして居た頃、御守りも戴いて、必死に御纏り致された
のです。子宮癌の全快を喜び乍ら、私もあちこちと布教に、とび歩いて居りました。N町周辺の農村にも、ぼつぼつ信者さんが出来て参りました。
今年に入って、四月の或る日、私が二、三の信徒さんと一緒に、耶馬渓沿線に行って居ります後に、心臓病の人が、再び教会に見えたのだそうです。
翌日私は、その人を待ちかまえて居りました。私にも気に成る処があったからです。まるで地獄から這い上って来た様にしおれて、其人はやって来ました。
「心臓が再発して暫く医者に通って見ましたが、どうにも成らない」との事でした。その人が話し出したのはこうです。

「自分には子供がなく、他人の子を貰って、今ではその子に養われて居るが、月に二○○円の煙草代しかくれない。私はどうしても神様に纏らねばならないのです。御守りも、是非戴きたい。私は煙草を止めたのでした。そして高い敷居で
したが、先生に御願いに上ったのです。私は御守りが戴き度いのです」とまるでつかれた様に口走るのです。それから毎日、浄霊を戴きに来ました。然し、以前よりも病気は悪化し、それにひどく衰弱もして居りました。私もその人の一心に負けて、出来る事なら今一度元気に成れる様にと、御願いして居りました。
四月二五日、とうとう二五〇〇円だけの献金を作って来ました。その頃はずっと寝たつきりで、こちらから毎日出向いてあげたのです。「これだけのお金が出来ましたから、これで先生に御願いだけして置いて下さい。後は又どうにか致し
ますから」と、まるで血の出る様な苦労だったに違い有りません。私は何も言わず、中教会へ参り、その旨話して御願い致しました。
二人日、中教会の御用も済ませてN町へ帰って来ました処、どうもあの家の様子が変だった、もしかしたら、死んだのではと留守を頼んだ信者の人が言うのです。すぐ行って買った処、矢張り亡くなって居りました。もう、どうしようも有りません。
その人の一生は、不幸のまま最後に御守りを戴く事だけを念願にして居りましたのに、それもとうとう間に合いませんでした。
私はその人の為に、その人への饑としてこの一文を綴ったのです。
人の死なんとするや!!それではもう遅すぎるのです。明日ですら遅すぎるかも知れません。元気なうちに、感ずる処があったらすぐ、御守りも戴きましょう。神様へも御纏りする事です。その事が出来なかったばっかりに不幸に打ちひしがれたまま、最後の願いも達せない間に死んで行った人が、ここにあるのです。良く考えてあげて下さい。

 

【著述篇2 補巻2 P444】

【『栄光』160号 昭和27年6月11日】

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