台風、暴雨、洪水等は人間の想念、言葉、行為によって作られる曇りである
昔から台風や、暴雨、洪水等はすべて天災と言い不可避の現象として諦めていた事は誰も知る処であるが、吾等から言えば実は天災ではなく人災である。それをこれから解説してみよう。(中略)
抑々、低気圧とは何かというと、それは地上の空間即ち吾等が言う処の霊界の清掃作用である。何となれば霊界と雖も常に汚濁が推積する。恰度物質的にいえば町や個人の家屋に塵埃が溜まるようなものである。ただ霊界は眼に見えない為、汚濁の推積が人間には判らないだけで、今日迄気が付き得なかったのである。勿論、現在迄の学問が唯物のみに偏し、唯心的研究を等͡閑視していた罪でもある。之が人類の最大欠陥である事は、吾等が常に唱える処で、どうしても霊界の存在を認識し研究しなければ、低気圧の原理は安易に知り得る筈がない。以上の如き、否認の霊界の実在を認識せしむる事こそ、宗教本来の使命であるのに拘わらず、今日迄既成宗教に於てはその点洵に微温的というよりも、無関心とさえ思われる程であって、不思議とさえ思えるのである。余談はさておき前述の如く、霊界に汚濁が推積する以上、その清掃作用が自然作用に発生するのは当然である。即ち風で吹き払い、水で洗うのでそれが低気圧である。全く現実界の清掃作用と何等異る所はない。故に此汚濁の根源を突き止める事こそ絶対解決の鍵である。然らば一体汚濁とは何であるかというと、それは人間の想念と言葉と行動によって作られる曇りである。即ち人間の悪の心、言行が、眼に見えない霊界に影響する、その結果霊界に曇りが発生するのである。此理によって今日大暴風が頻繁に襲来するという事は、如何に人心が悪化し、悪言悪行為が多いかが判るのである。然し乍ら右の曇りを消滅させる方法があるかというに、それは至極容易である。即ち右の反対の方法をとればいいのである。言う迄もなく人心が善化し善の言行である。即ち悪によって曇らされたる霊界を、善によって晴らすのである。此場合善は光となって曇りを解消する。例えばキリスト教に於いての讃美歌の合掌も、仏教に於る読経も、神道の祝詞も何れも善言讃詞であるから、霊界清掃に幾分かは役立つのである。故にもし右の如き善言讃詞がないとしたら、今よりも一層大きな低気圧が発生する訳である。
以上の如くであるから、低気圧は人間が作って人間が苦しむというのが真理で、自然は実によく出来ている。恰度人体に汚穢が溜れば、病気という浄化作用が発生するのと同様である。以上によってみても、低気圧の防止手段としては右の原理を自覚し、悪を改め善を行えばいいので、それ以外根本的解決は絶対ない事は知るべきである。
【 著述篇8 p45 低気圧は人災なりより 】