御教え集25号 ④神経が残っていると切っても埋まる
(御論文「神と硝子玉」朗読)
つまり医者の本性というものは、顕微鏡で細かい菌が見えるということです。だからいま医学でなにか分からないものがあると、みんなウィルスにしてます。近ごろ流行している日本脳炎にしてもなんでも、つまり顕微鏡で見えにくいものはみんなウィルスにしてます。
ところがウィルスよりもっと細かいものということに気がつかないのです。それを見るには顕微鏡の進歩よりないのだから、結局根本はガラス玉なのです。それでこっちのほうは
顕微鏡で見えないような細かいものでも、別に見るわけではないが、分かります。つまり科学のほうよりももっと細かいものをこっちは把握できるというその違いさが、片方はいくらやっても治らないが、こっちは簡単に治るというように、実際的結果によって分かるのです。それをお医者さんに言っても分からないから言わなかったが、睾丸ができるということは、なんでもないことで、霊主体従の法則によってできるのです。睾丸が取れても、霊のほうは取れてないのです。そうすると霊の形だけはだんだん埋めて行こうという作用を遮断してしまうから、押しつけてしまうから駄目になるのです。それともう一つは、医学のほうで切っても、その後できるものもあるのです。指くらいは切っても必ず元通りになるのはなんでもありません。ところが医学のほうでは薬をつけるから、そこで止まってしまって片端になるのです。というのは霊があるので埋めてゆくのですから、埋まるに決まったものですが、埋めるには霊の力がそうとうにいるのです。ですからふつうはほうっておくと暇がかかるのです。そこで浄霊すると霊の力が出るからして埋めるのが早いわけです。ですから睾丸が落ちても、自然にほうっておいてなにもしないでいると、一〇年も二〇年もしてできるのですが、それを浄霊したために十分の一、二十分の一も早くできるのです。それを説明すれば分かるのはあたりまえですが、そういうことをお医者さんに言っても無駄だから言わなかったのです。一番分かるのは、手を切りますが、肉体の先のほうの、なにもない所が痛む人がいるのです。私は以前よく患者から聞いたのですが、それは霊があるからで、霊があるからつながっているのです。睾丸が取れた人に聞いてみると、白い細い物が残っていたというのですが、それは神経なのです。
しかしその神経が切れてしまってはちょっと難しいですが、簡単なものはできます。重要なものはちょっと難しいです。それが医者が切断したものだと神経も切断してしまいますからできないが、そういうのは神経が残っているからできるのです。指などは神経を切っても埋まってくるものです。それが霊主体従の法則です。その原理さえ分かればなんでもなく分かります。
【御講話篇11 P41】
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