三千年前の話

【仏教の起源と仏滅について】

 

  •  神代における事件・・・・・約三千年前、素盞鳴尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売大神様の地位を狙って要望したが、容易に応諾されないため、威圧や迫害等から進んで遂に生命にまでもおよんできたので、急遽御位を棄てられ、変身によって眼をそらし、密かに日本を脱出し、インドに落ち延びた.
  •  観世音菩薩のご本尊・・・・・伊都能売大神様は、観世音菩薩の御名によって当時インドの南方海岸にある補陀落迦という名の山に清き館を建てられ、安住せられた.この事は悲華経の中にある.曰く「観自在菩薩は補陀落迦山上柔らかき草地の上に、二十八部衆を従え、金剛宝座に結跏趺坐して説教をされた。云々」とある。当時まだ善財童子という御名であった若き釈尊は、この説教を聴聞して、その卓抜せる教えに感激とともに心機一転し、皇太子の御位を放棄し、一大決意の下に修行三昧に耽った。   そうして行成り出山するや、愈々釈迦牟尼如来として仏法開示にとりかかられた。    故に、実際上仏法の本当の祖は、日本の伊都能売大神様であったことは確かである。
  •  観世音の御姿・・・・・その最も特異の点は漆黒の素直な頭髪であって、これは日本人特有のものである。それに引き換え釈迦、阿弥陀は全然異なった赭色、縮れ毛であるにみても、両如来がインド人であったことは明らかである。    また、観世音の王冠や首飾り等も、高貴な地位を物語っており、頭巾をかぶられているのは御忍びの姿である。
  •  仏滅の意味・・・・・伊都能売大神様がインドへ落ち延び給うた時、日本古来の神々はインドへ渡航し、化仏身となられた。    故に、仏滅とは化身仏となられた神々が本来の神位に戻られるということであり、大変目出度いことである。この事に関連して「本地垂迹」という言葉がある。この「本地」とは本元の国、即ち日本の事であって、「垂迹」とは教えを垂れることである。つまり、最後に至って故郷である日本全土に仏の教えを垂れるとともに、仏華を咲かせ、実を生らせなければならないという密意である。そして、実った時こそ仏滅となるのである。
  • では何故、仏滅など必要だったのでしょうか。
  •  神意・・・・・この地上に真善美完き恒久平和の理想世界を建設する経綸に際して「精神文明よりも物質文明を先に発展させよう」とされた。その端緒が約三千年前の出来事です。それ以来、善より悪が栄えるという理不尽な時代となっていった訳です。対立、闘争が繰り広げられ、そのことにより人類は物質的豊かさを生む知恵を磨くことになります。衆知の通りですね。    因みに、物質の「物」はブツであり「仏」に通じ、仏滅が来るまで「物質偏重の時代」が続くとされています。また、「善より悪が栄える時代」が続くと、真理を見失い、人類は堕落し滅亡する危険性があります。その為、神意により宗教が創られました.宗教により人類に良心を持たせ続けると共に、世界の霊的中心地である日本を邪神から護る為に種々神業を執り行われました.
  • 代表例
  • 伊都能売大神・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・仏教
  • 分身・・・木花咲姫尊・・・・・・・・・・・・・・富士山
  •   ・・・金龍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・琵琶湖
  • 国常立尊
  • 分身・・・閻魔大王・・・・・・・・・・・・・・・霊界の裁き
  •   ・・・艮金神・・・・・・・・・・・・・・・・・芦別岳(鬼門の源)
  • 素盞鳴尊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・キリスト教
  • 稽暦・・・・・・・6060年
  • ユダヤ暦・・・5761年
  • 仏暦・・・・・・・2561年
  • 皇暦・・・・・・・2660年
  • 孔暦・・・・・・・2551年
  • 西暦・・・・・・・2000年
  • イスラム暦・・1421年
  •  暦については、またの機会にお話しましょう.ただ、各宗教宗派によって「三千年来の罪穢れ」を説いていますが、その根拠になっている事が今お話したことです.ですから、物質偏重の考え方を変革していかねばなりません。日本の場合、当面「経済至上主義」「民主主義」「マスメディア」をキ-ワードにして、その在り方を根底から問い質していかねばなりません。教育は民主主義と併せてIT革命はマスメディアに含めて考える事は勿論です。****************************************************************
  • 仏滅の時期それでは「仏滅」は何時到来するのか、ということが最大の関心事になります。仏滅の意味は、『伊都能売神皇がインドへ落ち延び給うた時に日本古来の神々は化身仏になられた。故に仏滅とは化身仏となられた神々が本来の神位に戻られるということ』と教えにあります。

    時期についてはメシヤ教の変遷が大きなヒントになります。『神格の向上』という教えと併せて考えていただきたいのですが、「観音教会」と称していた当初は祝詞の最後に神名を唱えずに、「念被観音力 念被観音行 念被観音心」と唱えていました。

    そして、昭和25年2月4日メシヤ教と改称された折り、『開教の辞』と題して『一言にして言えば仏滅を意味するのである。したがって、観世音菩薩はここに仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。』と述べられています。

    この時が本来仏滅であるはずなのですが、それを阻止する働きも大きく強く、弟子達の不始末で「法難」に遭遇し、御神務の停滞を余儀無くされました。また昭和29年6月15日『メシヤ降誕仮祝典』が斎行されたままになっています。私が『メシヤ教』の呼称によって活動する理由はここにあるのです。

    しかも、こうした経緯を踏まえるからこそ、『メシヤ教教義』に則って現在の御神体を仰ぎ奉っているのです。

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