メシヤ教の御神体について

御神体についてお話いたします。

私が独自に宗教活動を始める数年前から、御神体についての御内流があるようになりました。それは一文字でしたが、明確な字形ではありませんでした。そのため私はメシヤの教えを紐解き、御神体について思索いたしました。

『御神格が上がると、御神体は抽象化していく』という教えがあります。宗教を創唱する折りに働きかける神様を‘顕現神’と尊称いたします。そして顕現神に真向かうために設(しつら)える神籬(ひもろぎ)を御神体と尊称いたします。

その御神体は、まず誰にでも解りやすい‘像’から始まり、文字となり、神名が解らない抽象的な表現となる、ということです。ですから、偶像崇拝を嫌うという宗団は、理が通っているところがあります。また、‘天岩戸隠れ’に関わる‘天津金木’は、深い神秘が隠されていますが、万教帰一時に明らかにされます。

その頃、参拝するたびに文字が浮かび上がりましたが、私は新たに教団を立教することなど念頭にありませんでしたので、不可思議でたまりませんでした。人に漏らす訳にもいきませんでしたので、御内流と教えを照らし合わせて沈思黙考を続けるといった状態でした。

ところが、皆さんご承知のような事が起こりまして、立教せざるを得ない状況になりました。そして平成11年の2月、立春の時にその文字が明確になったのです。起こってくる事態と文字の明確化が一致しました。私は恐(かしこ)みました。

何故私が?と考えても仕方のないことではありますが、色弱が治癒した中学2年生の時から本格的に教えを求め始め、当時の教団に疑問を持ち、それは平成11年まで続きまして、文字が明確になった瞬間に疑問が氷解したのです。その中身は『信仰読本』に記述してありますので、再読してみてください。

特に、改めてご認識いただきたいところは、古神道及び大本神諭の流れを汲む霊言に登場する『時代の転換期に鍵となる文字』が御神体であるという一点です。非常に意義深いわけです。

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