人間というものは生き変わり死に変わり教育されている
人間というものは生き変わり死に変わり教育されている、ということです。もちろん反面教師的な場合もあるでしょう。しかし関わる全ての人が、理想目的に向かうための自分に必要があって出会っていると受け止めることができましたら、人生観は随分と変わるのではないでしょうか。自分には、その時々に必要な教育係がいる、と思えたらなんと心強いことでしょう。なんと素晴らしい人生でしょう。
また、そのように受け止めることができたならば、脳のためにも大変良いようです。「自己啓発のための基本百科」(日本能率協会編)の中に、
「人間の脳の中には、フィルタ-の作用がある。たとえば、自分が聴きたくないような音や見たくない光景を聞いたり見たりしても、それを意識的に排除しようとする働きがある。一方で、あるものに全神経を集中すると、普段では聴こえぬものまで聴こえてくることもある。
それゆえ、自分の周囲で起こる現象、たとえば学校の講義で、この講義は嫌いだと決めてしまうと、その講義の知識は身につかなくなってしまう。自分から脳の中のゲ-トを閉めてしまっているのだ。」
「ゲ-トはフルに全開、何でもいらっしゃいというかたちに脳を維持すると、外から入ってきたある情報と潜在的に埋もれている情報とがドッキングして、素晴らしい発想が浮かんでくる。」
という内容があります。
私は神様から知らされた以後、教育係と思える人が次々と現れ、今日まで様々な学びを積み重ねました。どうか、人には誰にでも教育係が時所位に応じて付けられるということを認識していただきたいのです。それを拒んだりすれば、もったいない話です。
ついでの話になりますが、拒まないために、上手な人間関係を築く訓練をしておかねばならない訳です。つまり、小学生時代はできるだけ多くの子供たちと遊ぶことが大切です。遊ばないで勉強していたら、心配する位の親でいたいですね。