八雲立つ出雲の和歌
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「八雲立つ出雲 八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」
記紀ではスサノオはクシナダ姫を妻とし、須賀の地に宮殿を立てて歌を誦んだとされていますが、その本当の意味は、
「昇る太陽を拝む出雲族の国には八重垣という法律がある。この法律で婦女を暴行するようなやからを取り締まるのだ。」
という意味だそうです。
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また、出雲口伝では
出雲王国にはマツリゴトと呼ばれる行事の1つに、法律や規則を決める会議があり王国の統治をされていたそうで、取りまとめは王である大名持が行ない、法律や条文は「出雲八重書き」と呼ばれ、出雲八重書きは、各地に持ち帰られたそうです。
実際には出雲族が作った歌であり、スサノオ様とは無関係とされております。
この御歌は、婦女暴行(一夫多妻)を禁じた「一夫一妻」の掟の御歌であったという真実です。
【出雲王国と天皇政権より参照】
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一夫一婦制は出雲王国の掟であったということですが、御神書では、
一夫一婦制は国常立尊様がお決めになった。厳格な神様である。
最初に之を犯したのが天若彦、之が世を乱したと書いてある。非常に女好きで、国常立尊を押込めた張本人で、世に天の邪鬼といふ。
天地律法制定の神と天若彦 昭和23年7月4日
と書かれております。
掟は国常立尊様がお決めになったと書かれておりますから、
上記歴史を研鑽させていただきますと、出雲王国の事であり、その王が国常立尊様だと拝察されます。
前回の多賀大社では、クナト神様がイザナギノミコト様であられ、今回はクナト神様と国常立尊様と繋がりました。
歴史を照らし合わせて研鑽させていただきますと、明確に分からせて頂けます。
そして、
・3はサイノカミの聖数であった。
・出雲王国時代は、玉の首飾りをつけていることが、豪族であることの証であった。
各地の豪族は、地元の名産品を王家におさめると、曲玉の首飾りが与えられた。首飾りのない者は、豪族とは認められなかったと書籍には書かれておりますが、勾玉は出雲王国の神宝だったのです。古事記にも勾玉が出てきますが、古事記は出雲王国の歴史を神話とされた部分があるそうです。
そして御神書では、
神話やお蔭話にはいろいろな意味があるとのことですが、
㈢ 須佐之男尊の八岐の大蛇退治、について・・・・・
『これは事実と思うのです。須佐之男尊には三人あり、これは初代・・・というとちょっと変ですが、それでしょう。
この尊が大蛇を殺し「いけにえ」にされそうだった櫛名田姫を妻にし家を建てた。
そのとき立派にできた家を見て「あな清々し」と言ったことから清宮と名づけ、またそのとき詠んだのが
「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣つくるその八重垣を」であり、和歌の初めと言われてます。』
(御光話録)
『私は先年出雲へ参拝の折、同神社の裏手の海岸に日の御崎という処がある。
神官の説明によれば此処から毎年十月初め神様は故郷にお帰りになり、一カ月を経てお戻りになるとの事である。
之でみれば出雲の神様は日本生え抜きの神様ではなく、外国から移住された神様に違いない。
昔から十月を神無月と言ったのは、右の行事によったものであろう。
そうして大国主命の父親は素戔嗚尊になっている。
『古事記』によれば素盡鳴尊は、朝鮮の曾戸茂梨山(そしもりやま)へ天降られた事になっているから、朝鮮に生誕された神様である。
そうかと思うと伝説にもある通り、出雲国簸の川上に於て、八岐大蛇を退治し櫛稲田姫の生命を救うと共に妻神として迎え、夫婦生活をなさるべく、今日の出雲神社の位置に、須賀官という新居を作られた尊は、新築の家へ初めて入居された時、「あなスガスガし」と仰せられたので、須賀官と名付けられたという説もある。
そうして余程琴瑟相和(きんしつあいわ)したと見えて、其気持を表わすべく詠まれたのが、彼の「八雲立つ出雲 八重垣つまごめに、八重垣作るその八重垣を」という歌で、之が三十一文字(みそひともじ)の嚆矢(こうし)という事になっている。
としたら和歌の先祖は素盡鳴尊となる。
(日本人種の霊的考察(上))
『次に、天孫族と出雲族を詳しくかくべきだが、之は歴史上余りにも知れ亘っているから略す事にしたのである。
言う迄もなく有名な武将は、殆んど両族から出たので、只天孫系には多くの学者が出た。
勿論漢学者であるが面白い事には勤王家に学者が多く、維新の鴻業に大いに役立った。
それというのは天孫系が出雲系に圧迫され、危くなったのを救わんが為であったのは勿論で、右の漢学者に対し和歌の如しかき仮名書き文学は、大和民族系と思えばいいのである。然し此方は戦争に無関係であった為、武人のように華かな存在ではないから、注意をされなかったのである。
最後にかかねばならないのは、仁徳天皇、光明皇后、光明天皇は大和民族の御系統である。
(日本人種の霊的考察(下))
とございまして、和歌の初めがこの 「八雲立つ出雲 八重垣妻籠に 八重垣つくるその八重垣を」であるということで、 和歌は大和民族系とのことですので、出雲王国が大和民族だと分からせていただけます。
如何でしょうか。
今回は出雲大社のことを研鑽していましたが、何故か進まないので、不思議に思っておりましたところ、こちらの和歌が頭に浮かびまして、どういう意味なんだろうと詳しく研鑽させて頂いた中で分からせていただきました。
実は、先日ネットでクナト神と国常立尊様が同一という記事を目にし、確かにそう繋がるはずなんですが、確かな御教えがない為、研鑽ができなくてしかしここを確実に体現出来ないと、皆様に響かない気がして、ずっと頭の片隅にあったのです。
特に、メシヤ様の信仰されている方々に国常立尊様が本当に現界にお現れになられていることを実感して頂きたいからです。
神様は私の疑問点も全てご存知で今回の和歌にて御教導賜り、体現させて頂けたことにただただ感謝です。
世界メシヤ教会は神様をお出しさせて頂く機関であるという事をご理解して頂けると有難く思いますが、これを信じるか信じないかは、読まれた方々のご判断にお委ねさせて頂きます。
神様はすでにご存知なのです。
また、世界メシヤ教会とならせて頂いた経緯を、神界から書きなさいと仰せになられているようですので、許される限り今後アップさせて頂きたいと思います。
世界メシヤ教会の前身はメシヤ教の御神事から始まっておりまして、大弥勒大御神様をお出し申し上げる為に賜った御垂示の御教導、そして体現させて頂いた御神業、内部の人間模様など、私自身全て見て参りました部分でございます。
少しダークな部分もあるのですが、はっきりした方が良さそうな感じを受けていますので、神様にご教導賜りながら勇気を以て体現させて頂きたいと思います。
現在、神界からは「立場を弁えなさい」との事でして、私からは誰かに連絡をするということはお許しが出ておりませんので、もし、記載して欲しくない方は削除させて頂きますが、当協会の体現は全て神様からの御教導と周知の上でご連絡下さい。
この御神書を書かれた岡田茂吉師は、明治15年12月23日生まれで日本の芸術家であり、自然農法の創始者、浄霊法の創始者で元は世界救世教の教祖として様々な分野で御活動なされた方で、箱根美術館と熱海美術館の創始者でもあります。
現在、数々の宗教団体等ございますが当教会とは無関係であり、宗教団体ではございません。
本日は平安郷にて大弥勒大御神様にご参拝お許し頂き、ご報告申し上げさせて頂きました。
大変おめでたい日にこちらをアップさせて頂き、
神様をお出しさせて頂けましたことに感謝申し上げます。
お読み下さりありがとうございました。