大和民族と出雲神族

猿田彦命様は天照皇大御神様であるにございますが、猿田彦命様はクナト大神で出雲神族の祖神とされています。

今回は「謎の出雲帝国 天孫族に虐殺された出雲神族の屈辱と怨念の歴史」(吉田大洋)を参照させていただきます。

元サンケイ新聞編集局次長の富當雄氏は、出雲王朝四千年の歴史を継ぐ大国主命直系の子孫だそうで、先祖から代々口伝によって伝承されたものを脳裏に刻み込んでおられたそうです。

富氏がおっしゃるには、出雲神族は、祖神の魂を勾玉とされていてアーリア民族(スサノオ系)に圧迫されたドラヴィダ人が縄文時代の中期か、後期に海を渡って日本の九州、朝鮮半島の南部、一部は沖縄を中継してやって来たとされ、ドラヴィダ人は龍蛇神を信奉するシュメールの一支族だそうです。

記紀では出雲系の神々を蛇神として描いています。大神神社などでしょうか。

記紀の作者は天孫族と出雲神族を結びつける手段として、スサノオを大国主命の父、あるいは祖神としたとされています。

また、古代信仰の地は志摩の磯部であり、伊雑宮。

俗謡では、「志摩の要は伊雑宮よ お伊勢さまへと末開き 磯部伊勢宮が神宮になると 磯の松風音ばかり 馬がものいうた 内宮の馬が もとの磯部へかえりたい」とあり、伊雑宮こそが本家であったそうです。

聖徳太子が編纂した先代旧事本紀大成経参照

早期縄文時代からの人種を拝察させていただきますと、北方民族のギリヤック人、南方系クマソ、アイヌやサンカが古族とされ、紀元前2000年前に出雲神族が渡来し、豊富な知識で指導し、まとめていき平和に暮らしていたようです。

大和民族とは、『まったく戦争を嫌い平和愛好民族』です。

大和民族は天照皇大神の系統です。瓊瓊杵尊については言えない。

これは神秘中の神秘です。

御講話集1

ドラヴィダ人も戦いを好まない人種とされています。

日本民族は日本・朝鮮・支那の三人種が混血したものである。

神智の光 s24.1.7

ところが素戔嗚尊が朝鮮からやって来てすぐに日本を征服にしたが、それがまた神武天皇に征服されてしまった。大和民族はこの二つの民族の下積みになって判らなくなってしまった。日本を支配したのは朝鮮、支那の民族であって日本民族はずっと支配されてきた。

御光話録

と上記の御教えがございますが書籍でも、

「スサノオが砂鉄を奪うために、朝鮮から馬を連れて、須佐の港へやってきた。ヒイ川の古志人が暴れ、テナヅチ、アシナヅチが助けを求めたので、スサノオがこれを制圧した。彼は次第に増長し、出雲をわがもの顔で歩いた。スサノオはテナヅチの娘と結婚した。」

それからホヒ族の侵攻があり、事代主が敵将の前で天孫族への呪いの言葉を残し、海に飛び込み自殺。

大国主はウサギ峠のほら穴に閉じ込められて殺された。今度は神武が九州から攻めてきた。神武は六人死に七人目の神武は強かった。その上、我々が「カラの子」と呼んでいた。朝鮮からの渡来人ヤタガラスが神武の味方についた。彼等は和解すると見せかけては、次々と出雲人を殺していった。まことに陰険であり、残酷であった。」と書かれています。

御教えと照らし合わせてみますと、いかがでしょうか。

大和民族には偉人も出ているが、多くは芸術家に優れたのがいます。光明皇后、応神天皇や義経は大和民族です。義経にはいろいろ神秘がある。聖徳太子は代表的な大和民族です。

御光話録

また、謎の出雲帝国では継体天皇から宣化天皇までが出雲神族とされており、出雲神族である三輪・加茂一族が力を発揮したようです。次の欽明天皇、用明天皇から聖徳太子が繋がっていて上記にございます様に聖徳太子は大和民族とされていますのでそこからは大和民族とのことなのかなと思いますが、応神天皇も大和民族ですので、系譜は複雑で様々な民族の入れ替わりがあるのだと拝察されます。

去年、奈良県万葉文化会館に行かせて頂いた時に、応神天皇から聖徳太子までの家系図がございました。(以下画像)

少し見にくいですが、わかりますでしょうか?

継体天皇から左下に行きますと、聖徳太子が記されております。

 

そして光明皇后も大和民族と仰せになられておられますが、系譜では藤原不比等の娘が光明皇后となっておりますので、血統で見ると複雑ですが、霊統という風に見れば納得です。この時点ですでに天孫族と融合しているわけですから、血統ではないのです。

大和民族とは、日本で最初に連合王国を築いたシュメール系海洋民族である、出雲神族ともいえるのではないでしょうか。