奈良県 龍田大社 法隆寺の守護神
龍田大社は奈良県三郷町の立野地区にある旧官幣大社で、斑鳩町龍田にある龍田神社が「新宮」と呼ばれるのに対し、「本宮」とも呼ばれています。聖徳太子が法隆寺建立の際、龍田大社に祈願されたとのこと。
この大社は法隆寺の守護神ということです。
創建
今から約2100年前、第十代・崇神天皇(すじんてんのう)の時代、国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」という御神託を授けられました。その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが当社の創建とされています。
<延喜式・龍田風神祭祝詞より>
主宰神
天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)(別名:志那都比古神(しなつひこのかみ))
国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)(別名:志那都比売神(しなつひめのかみ))
イザナギノミコトとイザナミノミコトの間に生まれたといわれる風の神様
摂社
龍田比古命(たつたひこのみこと)・龍田比売命(たつたひめのみこと)
「龍田」の地名は古く、初代神武天皇即位の頃までさかのぼり、龍田地区を守護されていた氏神様と伝えられる夫婦の神様です。
<延喜式・神名帳より>
末社
上座:天照大御神(あまてらすおおみかみ)・住吉大神(すみよしおおかみ)の相殿
中座:枚岡大神(ひらおかおおかみ)・春日大神(かすがおおかみ)の相殿
下座:高望王(たかもちおう)のお妃(平家の祖先)
*三社ともに創建年代不詳
白龍神社(はくりゅうじんじゃ):
縁結び・浄難災難除けの神様。江戸末期から明治末期まで、御神域に白蛇として現れ信仰されていましたが、一夜にして姿が見えなくなりました。その後、明治41年春、突如にごり池(現在の北葛城郡広陵町(きたかつらぎぐんこうりょうちょう)に白龍として出現されましたので、この地にお迎えし、お祀りしました。
龍田恵美須神社(たつたえびすじんじゃ):
福徳円満・商売繁盛の神様。鎌倉時代兵庫県西宮市の西宮えびす神社より御分霊を勧請(かんじょう)し、やがて江戸時代には荒廃していましたが、昭和62年に復興しました。
三室稲荷神社(みむろいなりじんじゃ):
福徳円満・商売繁盛の神様。創建年代不詳。
下照神社(しもてるじんじゃ):
祖霊社。明治時代創建
去年の秋頃呼ばれましてご参拝させて頂きました。昔はなかったのですが、池の前には像が出来、池の周りも以前より綺麗に整備されていました。
白龍は弁財天ともいう。
雨を降らし又水を浄める龍神様。
メシヤ教会自然農園ナチュファは毎回御守護賜り、雨を止めて頂くのは勿論、作業後には水やりも不要というくらいピッタリに雨を降らして下さったりします。
この大社は地元でしたが、まさか聖徳太子がこの大社を法隆寺の守護神とされたのは去年参拝後、知りました。
法隆寺と深い繋がりがあり、知る人は全国遠くから参拝される方々も。
かつて都だった奈良を守る重要な役割を果たしてきた由緒ある神社です。