聖徳太子が編纂した「先代旧事本紀大成経」
聖徳太子が編纂された書物という事を知り、気になりましたので研鑽させていただいてる中で、伊雑宮のことを知りました。
伊勢神宮は、内宮・外宮以外にもう一つ重要な宮があるそうで、それが「伊雑宮」だそうで、
御祭神は、天照坐皇大御神御魂です。
聖徳太子の没後、延宝7年(1679)に、「先代旧事本紀大成経」が、伊雑宮の神庫から神道家の永野采女(うねめ・男性)によって発見され、
その書物は当時、大変な反響を呼び伊雑宮の神職が、「伊雑宮は日神を祀る社であり、内宮・外宮は星神・月神を祀るものである」という説を裏付けるようなものだったらしいのですが(Wikipediaより)、1681年に内宮・外宮の神職と幕府に主張を却下され偽書にされ、焼却、発禁本となり、出版した書店主は追放、永野采女や伊雑宮の神官らは流罪となったそうです。
一説には本伊勢がこの伊雑宮とも言われております。
そして世間一般では御存じではないかと思いますが、聖徳太子はメシヤ様(明主様・岡田茂吉教祖)の前世でございます。
私は応神天皇、光明皇后、聖徳太子、画家の光琳、源義経などに生まれたのである。
妙智之光
聖徳太子は観音の生まれ代りで、観音様は色々と生れて来られた。応神天皇、光明皇后等。
講話集(補)
そして、伊雑宮が日神を祀る社であると大成経で書かれていたということが重要なのですが、
1797年刊行「伊勢参宮名所図会」(現在の佐美長神社の境内に鎮座)を見ますと、元々伊雑宮には猿田彦神社があったそうなのです。(下記参照)
右宮が猿田彦神社で左宮は大歳宮。
804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』では天照大神御魂とされる。中世から近世の祭神には諸説あり、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀ると考えられた。 伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書において、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれる。同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある。両神はつまるところ同じ神であると記されている。明治以降、伊雑宮の祭神は天照大神御魂一柱とされる(神宮要綱)。(Wikipediaより)
ホツマツタエでは、伊雑宮は天照大神、アマテル神が政治を行った場所とされていて、古事記・日本書記とは違い、どうやら隠されているようですし、この場所からは縄文時代からの遺物が出土し、祭祀場であったかもしれないとのことで、時期が来れば明らかにされるのだと思います。
そして、伊雑宮に猿田彦神社があったという事実です。いかがでしょうか。伊雑宮の元々の御祭神と考えられるのではないでしょうか。
伊勢神宮は元々猿田彦命様の領地であったともされていますし、伊勢神宮の心御柱は猿田彦大神の直系の子孫が代々造り奉り、重要な役割をされているのも納得できます。
そして、日神を祀る社であるということなのですから、天照大御神ということになります。
伊雑宮の境内に勾玉池がありますが、勾玉は出雲王国の時代に王家が身につける大切な宝で、祖神の具象化がこの勾玉とされているそうで、
出雲王朝4千年の歴史を継ぐ大国主の直系である富氏は「クナト大神の神宝である勾玉を天孫族が奪った」と仰っています。(謎の出雲帝国参照)
また、伊勢神宮内宮が星神とのことですがメシヤ様の御教えでは、
昭和十六年五月、渋井氏以下数人の信徒を伴につれ、丹波の元伊勢神宮に参拝に行ったのである。此事に就いて興味ある一挿話をかいてみるが、今日の伊勢山田の皇大神宮は、今から約千百年以前前、此丹波の元伊勢から遷宮されたという事になっている。それに就いて斯ういう説がある。遷宮の際御神霊を御輿に乗せ奉り、一里離れた所に和知川の下流で五十鈴川があり、その川を渡御せんとした際、急に御輿が重くなり、どうしても渡り得なかったので引返したというのであるから、伊勢の山田には御神霊は移らなかった訳である。それを実証した一つの出来事があった。それは此参拝から一ヶ月余経た七月一日私は中島氏以下数人を従え、伊勢山田の皇大神宮へ参拝に行った。社前に額いて祝詞奏上するや、社の中から神の声が聞えた。それは「デハ私はこれから故郷へ帰らしていただきますから、後は宜しく御願申します。」という言葉である。すると私の傍に又別の声がした。「永い間御苦労であった。」との御言葉で私はハッと思った、というのは、愈々、天照大御神と御留守居の神との交替である。いうまでもなく私は先日元伊勢へ参拝に行ったのは大神をお迎えしたので、今日の行事の為であった。お留守居の神とは勿論、神素戔嗚尊で朝鮮にお帰りになったのである。
(光への道)
とのことですので、霊的にはメシヤ様の御神事によって丹波の元伊勢から伊勢神宮へ天照大御神が御鎮座されました。そして星神も天照大御神とも言えますし、丹波の元伊勢とは籠神社のことと思われ、主祭神は彦火明命で天照大御神、彦火明命は饒速日命とも言われておりますので天照大御神は饒速日命=猿田彦命様であるということが分かります。
また聖徳太子も星信仰を復活させることを目指しておられたようで、御教えでは星=人間ともいえますし、更に研鑽させていただきますと、星信仰も隠され、古事記には記されず日本書記では悪神とされているようです。
そして応神天皇も最後に行ったとされるのが星まつりだそうで、日月地、日月星、ですから、もしかしたら大彌勒大御神様の御発動を意味していたのかも知れません。
こうして歴史を辿らせて頂きますと、御自ら前世をも御使いになられ、緻密に幾重にも型をなされるメシヤ様の御経綸に毎回本当に驚愕させていただくと共に、御神業の深さに大変恐縮しております。
来月は天照皇大御神様奉祝大祭でございます。
今月10日には、太陽フレアが最大級の「Xクラス」が7回連続し観測史上初という事で、太陽活動も更に活発になっているようです。
天照皇大御神様をお迎え申し上げ、世界平和を願い、誠を以て執り行わせて頂きたいと思います。