観音様について⑴

観音様につきましては歴史からまず学ばせて頂きたいと思います。

観音信仰は飛鳥時代に日本に伝来したと考えられており、飛鳥時代は日本の歴史の時代区分の一つで広義には、難波宮や飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年から和銅3年にかけての118年間を指し、狭義には聖徳太子が摂政になった推古天皇元年から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年にかけての101年間、または推古天皇元年から和銅3年にかけての117年間を指すと書かれております。 ウィキペディアより (西暦592年)

 

そして、聖徳太子が饒速日命を観音像として祀り始めたのが観音信仰の始まりとされていると、聖徳太子の三男麻呂親王の子孫であられる千田寛仁さんが仰っておられます。観音像といえば、奈良県桜井市の聖林寺の国宝十一面観音菩薩像がございます。江戸時代までは大神神社の大御輪寺の御本尊でした。

明治30年(1897)、旧国宝制度が成立すると国宝に指定され、昭和26年(1951)6月の新制度に移管された際には、第1回の国宝に選ばれました。この時指定された国宝仏は、わずかに24でした。

聖林寺HPより https://www.shorinji-temple.jp/about/statue/

仏教伝来以前の古い日本では、神は山、滝、岩や樹木等に宿ると信じられ、本殿などの建築や、神の像はつくらず、自然のままの依り代を拝んでいました。その形が現在まで続いているのが三輪山を御神体とする大神神社です。

その後、国家的に仏教を興隆した奈良時代には神仏関係の接近が見られ、神に密接にかかわる寺がつくられました。大神神社にも大御輪寺が造られ、仏像が安置されたと書かれております。(東京国立博物館HPより)

元々三輪山を御神体とする大神神社の御祭神は大物主大神とされていますが、大物主大神は饒速日命と同一とされています。

実際に聖林寺の十一面観音様は饒速日命様をモデルにされたとお寺の方が仰られておられるそうです。そうしますと、千田寛仁さんの聖徳太子が饒速日命として観音像を祀り始めたというのと一致致します。

大神神社の御祭神大物主大神であり、饒速日命様、そして十一面観音様であられるということになります。

こちらの卑弥果さんのブログはとても分かりやすく纏められておりますのでよかったらご参照下さい。

https://ameblo.jp/153535769/entry-12660928203.html

饒速日命様が観音様であるということは確実であります。

また、上記ブログに書かれている三島の神が国常立尊様のようで、観音様は国常立之尊様でもあられるのですから、イコール饒速日命様であられるというところが御神書と一致致します。

御神書では、

『観音様の裏は国常立尊ですから。・・・というのは、国常立尊は霊界で閻魔になったが、厳格一方の神様で善悪を厳しく分けられた。これではかわいそうだというわけで仏に化けられたのが観音様なのです。』

御光話録3号

観音様の御本体は国常立尊と伺っておりますが、その御関係について御教示をお願いいたします。

『国常立尊という神様は厳正至直で、いかなる間違いも許さず、ずっと昔人間としてお生まれになり、死んでから閻魔大王になられたんです。しかし、閻魔大王は裁きを司り、なかなか厳しくて、霊になったものの汚れを取って救ってくださるんです。
そうやって地獄を救われるんですね。
それが仏界に現われたのが観音様で、観音様は善悪無差別にお救いになり、決して罪を尤めることはなさらないんです。
だから観音様の信者は決して人の罪を尤めちゃいけない、そういうことをすると観音様の御意志と違ってきてしまうんです。』

御光話録15号

千手観音様は別名、千手千眼観世音と申しまして、千の手を以て、あらゆるものに生命を与え甦らせ、千の御眼から放たれる御光に浴さしめて救われるのであります。
西方文明が九分九厘になって行詰った時、一厘の力が出て生かすという事は、丁度螺旋に讐えると能く判ります。
今迄は右巻きに西洋文明が進んで来たのでありますが九分九厘の瀬戸際で俄然、左巻きに変るのであります。

大光明世界の建設

今日の如き澆季末法(ぎょうきまっぽう)の世が来る事は、お釈迦様は能く御存知であった。
何故なれば、此の世は火宅とか厭離穢土(えんりえど)だとか仰有ったのであります。
此の世では幸福というものは得られない。
何処迄も苦しまなければならない。
苦の娑婆であるとお説きになったんであります。
だが然し、仏の世は必ず滅する。
そして仏滅後に弥勒が現われる。
それからが始めて五風十雨の正しい世、苦悩のない五六七の世が出現すると予言されて居るんであります。
であるからお釈迦様も、ミロク出現迄は苦の娑婆であるから夫迄は多くを望むな、諦めておれとお説きになられたのが仏法の根本であります。
故に仏教は徹頭徹尾諦めの教でありまして、此の諦めを悟りと謂われたのであります。
此の点は他の既成宗教にも往々有るんであります。
然らば五六七の世、又はミロクとは何かと申しますと、ミロク様は三人あるのであります。
即ち阿弥陀に釈迦に観音であります。
それで三人の弥勒は種々に分けられてあります。
地理的に分けますと、釈迦は東洋の弥勒であり、阿弥陀は西洋の弥勒であり、観音は日本の弥勒になるのであります。
それから之を天、地、人、に分けますと、阿弥陀が天の弥勒、釈迦が地の弥勒、観音が人の弥勒で又法身、報身、応身に分けますと、法身弥勒が阿弥陀、報身弥勒が釈迦、応身弥勒が観音様になるんであります。
ミロクとは五六七と書きますが、五が観音、六が阿弥陀、七が釈迦になるんであります。
それで七の弥勒六の弥勒は今迄に一度肉体を以て出た。
御承知の通り、七は釈迦でありますし、阿弥陀は釈迦の時代に法蔵菩薩となって現われたのであります。
観音は観音として未だ曾って肉体を以て現われた事は無かったのであります。
それで五の弥勒即ち観音様はお一人で六と七とのお働きをされるのでありまして、六の弥勒七の弥勒は、それ丈の限られた働きでありますが、観音即ち五の弥勒は六七共兼ねられてのお働きでありますから自由無碍如何なる活動力をも発揮されるんであります。
基督教の三位一体という事は三人の働きを一人でなさる即ち観音様のお働きの事を言うたんであります。
ですから本当の意味での弥勒というのは観音様の事なんであります。
弥勒出現して五六七の世が成就するという事は観音様が現われて、観音力を以て世を救う事なのであります。
観音会の働きというのは弥勒完成の運動をする機関なんであります。

大光明世界の建設 真のミロク

観音様は別名光明如来と申され、光に依って一切を救われるのであります。

今日迄の宗教は罪障消滅するには非常な努力をしなければならないのでありまして、それでもなかなか一生懸っても消滅は六ケ敷(むずかし)かったんでありますが、それが今度は観音様に依って至極簡単に罪障消滅が出来るんであります。

光明如来

観音様は、日本の仏様と言う事は、日本より出でました神様の化身であらせられ、祝詞にもあります伊都能売之大神様であります。

釈迦時代、印度へお渡りになって、補陀落山という山へ、御宮を建てて、種々と経綸をされたのであります。そして約三千年後に日本へ御出現になるという予言の下に、種々な事をお釈迦様に伝えられた。そして御自分は、一旦御昇天になられ、霊体に依って、今迄、観音として御活動をなされてたのでありまして、お釈迦様の仏教に依って支那を経、朝鮮を経て、日本に入られたのであります。つまり御自分が御留守中の日本が心配になるんで観音様に化現され霊身を以て、日本に間違いのないよう、又現身に依る御出現の準備工作も共になされたんであります。

大光明世界の建設【四】本地垂迹説

観世音菩薩さまは、伊都能売之大神様であり、国常立尊様であり、大物主大神、饒速日命様に繋がりました。

そして、実は聖徳太子も観音様なのです。

これは御神書でしか、明かされておりません。

観音様に関しましての御神書は膨大な量がございますので、今後少しずつアップさせて頂きたいと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。

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