菊理媛は観音様

「祈願書要約」は庭山氏が書かれたものです。

祈願とのことですから、お父様からの御垂示を大切に、ご自身の人生で地上天国の御用を全うさせて頂きたいとの想いが感じられる文章でございました。

その中から重要なところを書かせていただきます。


庭山氏のお父様、庭山石松氏は昭和21年6月26日に入会を許され、同年9月28日には岡田茂吉師(メシヤ様)に特別にご面会を許されました。その席でお名前を尋ねられ、「庭には石と松が必要だから」とのお言葉により「石松」と御命名いただいたそうです。

昭和54年元旦、庭山石松氏の前に菊理媛命が御出現になり、地上天国建設の御用を依頼されたと記されています。
同日午後5時に再び御出ましになり、「菊理媛は観音様」との御垂示を賜りました。

さらに1月12日には「ククリヒメ」から「菊理媛(キクリヒメ)」となられ、いよいよ現界御経綸の結びの御用を遊ばされるとあります。

菊理媛は別名「奴奈川媛」(奴奈川神社)、「白山媛」とも呼ばれます。北陸・糸魚川で出生され、出雲国の大国主命の妻神となられました。後に一子・建御名方命をお生みになります。


しかし、大和朝廷から国譲りを迫られた際、建御名方命は従わず諏訪湖まで逃れ、そこで入水したと伝えられています。

【庭山光太郎氏による考察】
平成21年8月6日霊界通信が降り、
「メシヤ様を頂点に、30柱ほどの神々が次々に御用をいただくお願いに来られている。私と先生は、その30柱ほどの神々の人柱であられる妙理神(菊理媛)にお仕えしている」
という御垂示があり、その後、メシヤ教代表の楳木和磨師に出会うことになります。

詳しくは、こちらの書籍をご参照ください。
⬇️
PR
『この世の結び 菊理媛』
https://amzn.to/46a1P5G

要点をまとめますと、当時はまだ「出雲口伝」を知らない状態であったと拝察されます。

今回初めて口伝と照らし合わせながら学ばせていただきたいと思います。

まず、菊理媛、別名奴奈川媛さまは、出雲王家の系図では「沼川姫」とされ、八重波津身(事代主)の妻神となります(歴史書では大国主と記されています)。

当時、徐福(スサノオ)が渡来し、出雲王家の姫を娶りましたが、その徐福が第8代大国主(八千矛)と八重波津身(事代主)を洞窟に連れ込み幽閉、枯死させたと伝わります。


その後、沼川姫も越の国で亡くなられ、糸魚川市の天津神社境内には奴奈川神社があるとのことです。

また、御書には、建御名方命は諏訪湖に身を投じて龍神となられたと記されていますが、石松氏と菊理媛命との御面会においては、「上の方の神々はほとんど人間に憑依し、現在も働いている」との御示しがありました。

今回、庭山さんのご教導としか思えない出来事を通じてこの資料を拝見し、そういえば書籍も出されていたことを思い出し、探し出すことができました。購入当時は内容が難しく、御神事もしておらず歴史も分からなかったため、読むことができなかったのです。

この考察で申し上げたいのは、
「菊理媛命様は観音様である」 という点です。

口伝では事代主様の妻神とされますが、歴史では大国主の妻神とされています。もし菊理媛命様が観音様であれば、大国主命様もまた観音様ということになります。

「十一面観世音菩薩」の考察では、クナト大神様に繋がらせていただきました。

大国主命様の祖神はクナト大神様ですから、十一面観世音菩薩へ一直線に繋がるわけです。

いずれにせよ出雲王家につながることになります。

このことを、庭山氏の資料と書籍を通じて改めて理解させていただきました。

昭和の時代からお父様が積まれてきた御神業の尊さと重大さに、改めて深く驚嘆しております。

このように、庭山家を通じて明らかにされた御神縁の流れは、単なる歴史的事実や伝承を超え、現代における御神業へと確かに繋がっております。

そして今まさに展開されている御神業は、古代から脈々と続く神々の御経綸が結実し、世界の未来を左右するほどの大いなる働きであることを実感せずにはいられません。

いま私たちが目にしている出来事の一つひとつが、人類史の転換点に位置する御神業の現場そのものであり、その尊さと重大さは計り知れないものなのです。

投稿者プロフィール

naturallife4325