脳梗塞の後遺症が消えた話 ― 針を持つ手に戻った、祭服づくりのご守護

M.T

以前エステの仕事をしていた娘さんから、化学合成添加物、合成界面活性剤、防腐剤といった毒性の強い化学物質の話を聞いてはいたものの、「自分が変えていこう」という意識は少なかったという。

メシヤ教にご縁をいただいて様々な学びを始めた頃、知人から「安全な食材を広めていくお仕事をしてみないか」と声をかけられる。メシヤ教の教えの中にも、農薬や化学肥料を使用しないで作物を生産する「自然農法」の普及推進という内容があったため、勉強を兼ねてその仕事をすることにした。

脳梗塞で倒れる

ところが、その仕事を決めてから間もなく、脳梗塞で倒れてしまう。

幸いだったのは、娘さんたちがメシヤ教で浄霊の仕方を教えてもらっていたことだった。長女は仕事で忙しかったため、次女が毎日浄霊を取り次いでくれた。お蔭様で後遺症も軽く済み、退院することができた。

そしてこの時、思いがけない大きなお蔭をいただく。それは、精神的な苦しみを患っていた次女が、浄霊を取り次ぐことで変化していったということである。またメシヤ講座へ参加することで、飛躍的な好転を迎えてくれた。その勉強の熱心さには、眼を見張るものがあったという。

「私も発見、娘も発見」という日々が続いた。退院直後はすぐ頭が混乱したり、カーッとなったり、物忘れがあったりと不安材料があったが、浄霊のお蔭で薄紙を剥ぐように回復していった。やがて我が家に御神体をご奉斎させていただき、毎月先生に立ち寄っていただいて基礎的なことを教えていただくようになる。

人生観は一変した。食に対する教えをはじめ、子育ての上で足りなかったことなど「もっと早く知っておけば…」と思うこともたびたびだったが、有り難い内容の連続だった。過去にも色々と信仰の世界に触れてきたが、こんなに神様が身近に感じられ、見守っていただけるとは思いもよらなかったという。

大黒様のお蔭

御神体をご奉斎させていただいてから、困ったことや願い事があるときは御玉串料を捧げてご祈願させていただく。すると「人事を尽くして後は神仏へお任せする」という心境になる。そして結果を許された時は感謝献金を捧げて御礼を申し上げる。そうして「安心立命」の生活が積み重ねられていくように感じられた。後悔したり、いつまでもクヨクヨしたりということが少なくなっていったのである。

月に一度の家庭祭で一ヶ月間の御守護に感謝申し上げると、改めて「神様に守られている」という喜びがこみ上げてくる。とりわけ、気に掛かる家族や親戚、知人のことについてご祈願や感謝を重ねることで、人生の不思議さや美しさ、そして生きていることへの喜びを感じるという。

そして我が家にとって有り難いことは、大黒様も祭らせていただけたことだった。60日に一度の祭典は当初準備に苦労したが、娘が良くやってくれるので次第に充実してきた。不思議なことに、ご主人の工場が忙しくなってきたのである。不景気のあおりで低調だったことがウソのようだという。

祭服のお蔭

有り難いことは、もう一つあった。

楳木先生が祭事を執り行われる時の「祭服」づくりの話があり、先輩の大石さんから「あなた、やらせていただきなさい」と言われ、臨ませていただくことになったのである。

見本になるものを見せていただいたり、生地を探したりと準備に時間を要した。そしていざ縫い始めると、不思議なことが起こった。

脳梗塞の後遺症で手に痺れが残っていたのだが、作業を進めていて、ある時ふと「何か不思議なんだけど、楳木先生の祭服を作るようになってから手の痺れが消えちゃった」と、娘に漏らしていたのである。

娘がそのことを先生に報告してくれると、次のような説明をいただいた。

祭服というのは神様事にのみ着用するものだから、言わば神様にご奉仕させていただいていることです。そのことに対する御守護です――。

涙が溢れてきて、ご神前で手を合わせた。そして、この信仰は間違いないと確信したという。

元来、針と糸を持っている時が一番心が落ち着く。それは神様からいただいた特徴だと思う。そのことに改めて気付かせていただいた出来事だった。また冒頭に述べた通り、安全な食材の提供という仕事にも関わらせていただけることは二重の幸せである。

現在は「飽食の時代」と言われているが、安心して食べることのできるものを手にすることは困難になっている。私達の肉体だけでなく精神まで蝕まれている現代の食生活を改善し、合わせて環境に対しても配慮する生活を提案していかねばならないと思う。

ちょうど良い時期にメシヤ教へご縁をいただいた、と感謝している。そして最後に、ご主人をはじめ家族のお蔭で二つの仕事に没頭できるまでになったということを添えて、御礼としたい――と結ばれている

私の一言

「何か不思議なんだけど、楳木先生の祭服を作るようになってから手の痺れが消えちゃった」

治してくださいと願って、治ったのではないのです。神様にご奉仕させていただいているうちに、いつの間にか、消えていた。ご本人が娘さんにふと漏らされたという、その言い方に、すべてが表れているように思います。

私たちはつい、ご守護を「お願いするもの」だと思ってしまいます。けれども、この方が受け取られたのは、お願いした結果ではなく、お使いいただいた結果でした。

先生のお言葉の通り、祭服は神様事にのみ着用するもの。それを縫うということは、神様にご奉仕させていただいているということなのですね。

御奉仕というものは、ものすごく尊くて有難いものですね。

私も、昔拠点へ清掃奉仕に毎月行かせて頂いた事があるのですが、その時は娘を抱っこ紐しながら窓を拭いたり、重たいので掃除中は床に寝かせてたんですけれども、その時テーブルにあったグラスを落としてしまい、娘の目の前で割ってしまった経験があります。危機一髪で身体に当たっていなくて傷1つないご守護を頂いたことをよく覚えております。

そしてもう一つ、深く考えさせられたことがあります。

この方は、針と糸を持っている時が一番心が落ち着く、と書いておられます。それは神様からいただいた特徴だと思う、と。

誰にでも、そういうものがあるのではないでしょうか。自分では当たり前すぎて気づかない、けれど確かに与えられている何か。

それが御神業の中で用いられた時、本人も思いがけない形で道が開かれていく。脳梗塞で倒れ、痺れを抱えたその手が、祭服を縫うために用いられ、そして癒やされた。これほど美しいことがあるでしょうか。

さらに、この記録には、ご本人だけでなくご家族のご守護が幾重にも重なっています。

浄霊を取り次いでくださった次女さんが、ご自身の精神的な苦しみから変化していかれたこと。お母様のためにされたことが、そのまま娘さんご自身の救いになっていった。大黒様をお祭りしてから、ご主人の工場が忙しくなったこと。60日に一度の祭典の準備を、娘さんがよくやってくださること。

一人の方がお道に繋がるということは、その方だけの話ではないのですね。家族全体が、静かに整えられていく。

今、ご自分に何ができるだろうと思っておられる方がいらっしゃいましたら。どうか、特別なことでなくてよいのだと思います。この方にとっての針と糸のように、すでに与えられているものが、きっとあるはずですから。

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