食育の根幹
それから次に、今食育ということが言われ始めております。やっと、という観がありますが、教育の場でも採り上げられ始めております。食育の根幹は何かということです。「一物全食」のためにどう工夫をするのか、ということがあると考えられます。
食事の前に「いただきます」と手を合わせることに全ての意味が含まれています。人の努力、土の偉力、太陽の光、水の恵みが渾然一体となって野菜が育ち、その野菜の命をいただくからなのです。冬野菜の大根で言えば、皮や葉まで全ていただく、ということです。昔の人々はそうやっていたのです。今は余程の人でなければ、そうはできません。
語弊があるかも知れませんが、ナチュラル・ハーモニーから宅配される野菜は他の野菜と比較すると割高に感じます。しかし、高いものを手にするということは、“無駄にできない”ということを次に考えます。すると、大根の皮もキンピラ風にしよう、と考えます。葉はチリメンジャコと炒めよう、という発想になります。
ところで、一物全食ということを考えてゆく時に、日本人は何故そういうことをしなくなったか、ということが浮かび上がってきます。生活習慣の中で葉などをパッと切って捨てるようになったか、皮をクルクルッと剥いてそれを捨てるようになったか、と考えてゆきますと、それは、第二次世界大戦に負けてから日本人の価値観が大きく操作されてしまったことがある、と考えられます。
操作される中で最終的に辿り着いたのは“マネーゲームで勝った者が人生の勝利者”という感覚を持ってしまった、ということです。
子育てをする時にも、「立派な人間」ということよりも「より良い学校へ進学」ということが優先しがちになります。そして「より良いところへ就職させる」ということを目指します。「より良いところ」とは「より良い収入」のことを指します。最終的には、遣り甲斐のある仕事よりもお金になる仕事です。これが拝金主義ということになります。
現実問題として、私達はマネーゲームに振り回されております。そのため、“遣り甲斐のある仕事とは何か”ということについて親子で深く語り合うことが減少している、と言われております。