御神体御奉斎と開拓布教
群馬・千和貴出張所で月次祭を執り行わせていただいた際に、体調がこれまでの当行事より格段に良いことを体感し、“これは御神体御奉斎と共に出張所発会が許されたからだ”と即座に感謝申し上げました。それまでメシヤ様御描画の「座御観音」様(御直筆・額表装)に御挨拶して「メシヤ講座」を執り行っていましたが、その間と比べて格段に体調が良くなっているのです。そのことを『文明の創造』の学びの後に述べると、驚くべき反応がありました。
「私も僭越ながら、“教団代表は御神体と共にある”と痛感しました。と言うのも、御神体御奉斎を許され出張所発会と共に浄霊の御光がすごいのです。背筋に痛烈に響くが如く御光をいただくのです。」
というものでした。同出張所で信仰歴最古参の人の話に参拝者の皆さんも強く頷いていました。それだけに御神体御奉斎を許されたことに対する感謝が二重に込み上げて参りました。と同時に、この「背筋」という言葉を耳にした際に、以前にも触れたことのある高知県の先達を想い出しました。
私が世界救世(きゅうせい)教職員時代に初めて現場布教施設の責任者になった際に、当時助師という資格でしたので集団浄霊ができませんでした。そのため、祭典の折りには集団浄霊ができる資格者(その地域を開拓布教した先達)に出向していただいていたのです。
その方の話の中で印象的であったのが、御神体に係わることでした。教団施設がある街から山間部へ移動すると、御神体がまだ御奉斎されていない土地ではバスの中でも悪寒が足元から忍び寄り、背筋が冷たくなったそうです。しかも、このことは何時も必ず決まって起きるとのことでした。それが、御神体御奉斎家庭が一軒また一軒と増えてゆく中で消滅したと言うのでした。
私は、全国で「メシヤ講座」を開催させていただいておりますが、御神体を御奉斎していない土地で執り行うのは疲れが出てしまうのです。これは開拓布教をしないと判らないものがあります。先月、三重支部の報告から御神体の意義について言及しましたが、布教をする上では加えて切実で深刻なものが実はあるのです。支部、出張所をはじめとして御神体御奉斎家庭が増えていることに心から感謝申し上げます。