御垂示録9号 ①聖徳太子は観音様
(御垂示録九号、昭和二七年五月一五日)
五月一日
今度奈良に行って分かったけれども、聖徳太子は観音様ですね。太子はやっぱり私だったんだね。分かったんです。夢殿の扉がちょうど開いて・・・あれは一年に一遍ということに、たしかなっているそうですが、あのときに観音様の霊が私に・・・まぁ、入ってきたんですね。それで分かったことは、つまりいままで時を待っていたんですね。というのは、奈良という土地は仏教の発祥地であるし、だいたいあそこから仏教というものが始まったんです。だから奈良のお寺のことをいろいろ聞いてみると、つまり何宗とかいうのは、まだできていなかったですね。あのことを、仏教哲学では原始宗教というんですね。それから、原始宗教の次にできたのが山岳仏教ですね。これは弘法大師が高野山に行ったり、伝教大師が比叡山に行ったり、山岳仏教ですね。それから宗派仏教になってきたですね。だから奈良時代の宗教は、たいてい観音様が中心だったですね。つまり聖徳太子は千手観音の小さい型なんだからね。で、私がいまやっているのは、千手観音の働きなんだからね。だから、なんでも無限にいろいろなことをやっているね。そうして、いままで救世観音が夢殿におられ、しかもだんだん聞いてみると、夢殿というのは聖徳太子が始終あそこで書きものしたり、生活をして、あそこが住居みたいになっている。それが夢殿といって・・・夢というのがおもしろいと思うんです。つまり、そのときの聖徳太子の夢が、いよいよ実現することになったんだろうね。ふつう、ちょっと夢なんて名前をつけるものではないですがね。なんとか意味ありそうな、正面な名前をつけるものですがね。それから救世観音と書いてあるんですね。救世観音というのは救世(ぐせ)観音といって、これは文献にあるんだがね。それを「メシヤ」と読んだのは私なんだから、今度行ったのは非常におもしろいですね。意味がある。ちょうど扉を開ける日にぶつかったということは、もうちゃんと、神様のほうでは決まっている。予定は明くる日だったんですが、早くすんだので、なんでもかんでも法隆寺を見ようということになった。法隆寺をできるだけやって、あとは明日にしましょうと言うが、しかしもし明日になっていれば、救世(メシヤ)観音は見れなかった。やっぱりそういうことになっている。奈良というのは、言霊から言っても、「ナ」というのは地になるんです。「ラ」というのは拡がるということですからね。地は七だからね。七のミロクになる。だから、今度京都に地上天国を造るというのは、箱根が五で、熱海が六、京都が七たと、そういったミロクの意味になるんです。
【御講話篇6 P103 】