御教え集23号 ⑥気配り、気のつくようにすること
なんにでも気がつくことです。大本教のお筆先に「何事も気配り心配りをして下されよ」というのがあります。ですから気のつくことです。ところが気のつかない人が非常に多いのです。ちょっとしたことに気がつかないのです。それは頭の働きが鈍いからです。そういうことを心掛けて練習してもよほど違います。つまり人がなにか言いますが、一言ですぐに見当がつくことです。こういうことを言うから、ああいう性質を持っている。また来た人の話をちょっと聞いても「ははぁ、これはこういう目的で来たな」ということを早く覚るということは、非常に役に立ちます。また他の家に行っても、はいっていきなり下駄を見ると、腐ったような体裁の悪いのがあったら、これは懐が楽ではないなと思う。子供が食っている菓子でも、つまらない安い菓子を食っているのを見ても、ははあと分かるのです。私はよくネクタイの柄を見ます。これは趣味の高い奴だ、低い奴だと分かります。それからキチンと締めていると、これは几帳面な者だ、あるいはだらしがない者だということが分かります。そういうことを見ると、すべてにおいて便利です。それで先方の心が変わったりいろいろしたり、想念が変わり、信仰なら信仰が進んだり鈍るが、そのことで検討がつくのです。それでおかしなことで、霊的にいろいろなことを見るということは止めたほうがよいです。それは特別な能力を持っていなければならないから駄目です。私は分かりますから、よくやりますが、物質的に見ることも大いにやらなければならないのです。これは科学的のほうです。ですから霊的と科学的と両方なければならないが、まず科学的にやることです。またこれはだれにでもできることであり、非常に肝腎なことです。
【御講話篇10 P276】