法の精神 生活保護世帯を減らす取り組み

そこで、これからの日本人は、“法の精神”を子育ての中で一つひとつ教えてゆく努力をしていただきたい、と思います。

例えば、生活保護の支給額が年金受給者を上回る、という話が出ます。しかも医療費が無償となるため、国の財政を逼迫(ひっぱく)させる一因になっているとも言われます。これには、仕事ができないほどの病気や障害があるという状況下ではないにもかかわらず、しかも、年齢的にも働ける方でも生活保護を受け、過剰診療を受けているという指摘もあります。

これらのことは生活保護の理念の捉え方が不十分であるために起きている問題なのです。本来、病気のために働けない方の生活を保障する、ということから医療費を無償にするということがセットになっているのです。その理念のところを忘れてしまうと、可笑しな受給者が出てしまうのです。

私は、布教してきて、生活保護世帯を減らすことを各地で心掛けてきました。それは、子育てする中で欠かしてはならないことの「嘘をつかない」「自分のことは自分でする」「人に迷惑をかけない」ということを身につけていただくためです。人として最低限身につけておかなければならないことを、信者の方々にはまず身につけていただき、その上で、徳積みへと取り組んでいただきたいからです。

そうした取り組みの中で強く印象に残っている方のことですが、20年以上前のことです。心臓に人工弁を入れていた方がいました。人工弁を入れているので、障害者認定を得て働かずに宗教施設へ奉仕に上がっている人がいました。メシヤ様は、『人間は働くために生まれてきている』と仰っていますので、浄霊を取り次ぎながら、人間の使命について話しておりましたところ、そのことに気付いて仕事に就かれました。

そして、当時人工弁は10年に一度取り替えなければなりませんでしたが、その手術をした際、まっさらのような弁の状態であったことを医者が驚いたそうです。浄霊をいただき、人としての道を歩んだからこそ、許された御守護であろうと思います。

何故、こうした話をするかと言いますと、先程の“法の精神”を弁(わきま)える姿勢がないと、民主々義が成熟していかないのです。

戦後民主々義が入ってきた際に、背景にあるキリスト教(法は神との契約という概念に基づき、それだからこそ法の下に人は平等なのである)を学ばずにきてしまいました。ですから、民主々義が型ばかりになっているのです。

メシヤ様は『立法府と廃法府』という御論文を著述されていますが、現代に求めてみますと、非効率な財政運営が日本を疲弊させ、官僚主導の政策が却って不公平感を増幅させているなど、問題を山積させています。それを見直すことが問われているのです。そうしたことを支部を通して学び、確認して、将来の人材を育てていただきたいのです。

勿論、人の歩む人生は、それこそ十人十色です。しかし、意義ある人生を歩んでいる方はいか程でしょうか。人生の喜び、人生の不思議さ、人生の美しさを実感しながら歩んでいただきたい、と切に願っています。それが、時代苦を救うということだとも考えています。

 

平成23年11月メシヤ講座より

 

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