サタンに狙われる
1年の取り組みを顧みると様々なことが解る
さて、この祭典を迎えるに当たって‘今年一年の整理’をして新しい年を迎える準備をしてください、とお伝えしてありました。いかがですか。
メシヤ教全体としては
・「浄霊力伝授」活動
・「メシヤ講座」開設
・個々人の問題解決
ということを主にして力を注いで参りました。その取り組みの中から学びとなって浮かび上がってくることは、次のようなことです。
個々によって抱える問題は異なりますが、問題の発生源、宗教的には霊の曇りの発生源、それらを見つめて参りますと、社会問題も個人の問題も同根の部分が多くあります。また一方で、政治や社会問題レベルでの解決では根底にある人間自身の魂の問題は解決しないということも強く感じました。
私自身の場合は感激の極み
解り易くするために、私の1年を顧みつつお話し致しましょう。私が瀕死の状態にならねばならなかったことについては、様々な疑問があったと思います。私自身も疑問があったのですから当然です。
そこで神様から知らされていることを少し伝えておきたいと思います。その内容は、私自身思いもよらないことでした。
邪神界で最も力のあるサタンが私の命を狙った、というのです。そして瀕死のところを救ってくださったのは天照皇大御神様であるということです。この神様は通常理解されている天照大神様とは異なり、御夫君に当たる神様です。昭和6年6月15日、千葉県鋸山々頂にてメシヤご自身お迎えになられた神様で、来年折を見て詳しくお話しようと考えていますが、夜昼転換と最も関わりある神様です。
そして、9月30日サタンは主神様によって流された、ということです。このことを知らされたのは12月7日ですが、知らされた瞬間、10月頃からの私の心の変化に対する疑問が氷解致しました。私は10月から、取り巻く状況は別として、大変な爽快感に包まれていました。‘どうしてこんなに気持ちが良いのだろう’と、かって味わったことのない気分に浸っていたところ、そのことを知らされ‘成る程’と思った次第です。
私が進めてきた御神業は、行く手を阻まれ続け‘どうして正しい願いが巧く行かないのか’と自問自答の連続でした。そのことに終止符が打たれたような感慨を持ちました。
メシヤの教えを宣布することを恐れ、御神業の邪魔をすべく攻撃を加える存在があり、その攻撃から救済する存在がある、ということを身を以って知らされたのであります。私は、御神業の意義深さを再認識すると共に、やり抜く決意をより堅固に致しました。
厳しくも有り難い一年でしたが、新たな扉が開かれたようで、満たされた思いが致しております。そうしたことがあり、今日の御祭りは感激の極みです。