当教会御神体からの考察
当教会の御神体は〇にゝの御文字ですが、天津金木であり、太陽を表わし、最近では縄文時代のストーンサークルで何万年前から崇拝されていた尊い御神体だと御教導賜りました。
昭和の時代にメシヤ様(岡田茂吉教祖・明主様)によって、極秘の御神事が行われたように、この御神体を世に出す為に行われたその深い意味が、今になって明らかにされるのは時機到来なのだと拝察させていただいております。
それほど隠された貴重な御神体のことを更に御神事によって徐々に私に分かるように一つずつ御教導下さり、見るもの・感じるもの・沸き立つ想い、全ての事象を受け止め、毎日前進して参りました。御神事はたった8ヶ月でしたが、それは目まぐるしい毎日で、書籍出版まで一年ですから、神様のスピードの速さに大変驚きました。しかも私が歴史を覆す大役を賜わり、何度お伺い立てたことでしょう。それでも、「それで良い」「このまま進まれるように」「心強く進まれるように」そして最後の御垂示の御言葉は、「今まで通り、このままコツコツと進めていくように」と賜り、その御言葉が最後だとは思いもしませんでした。
御神事で御教導賜りました中の一つとして御神体がございますが、去年3月以降は何度もストーンサークルが出て来まして、どういうことなんだろう?と思っていた所に丁度青森の三内丸山遺跡に行く事になり、そこで初めてパンフレットで秋田県鹿角市にある大湯環状列石を見た時にこれだと解ったのであります。
そうして研鑽させて頂きますと、このストーンサークルはアイヌ語でクナト神とアラハバキ神の一対を表わしていることを知りました。
そして、天津金木でもあります。
出雲神族の末裔で、口伝によって古代の歴史を伝えてきた「富(とみ)氏」の伝承によると、その「出雲神族」は、東北方面から出雲に移住してきたということで、注目すべき口伝には、『我々の大祖先は、「クナト(岐神)」の大首長だが、もうひとつの隠された女首長に「アラハバキ(荒吐神)」があり、体制側によってこれらが抹殺されようとしたとき、「クナト」は「地蔵」に、「アラハバキ」は「弁才天」へと変身した。』と仰られたそうです。
抹殺・・とは、スサノオのことだとされているそうです。
メシヤ様の御教えでは、
本当の日本人は下積みになっている。太古朝鮮や支那に日本は征服された。
神智の光
大和民族のほうはそうとう古いんです。これはまったく戦争を嫌い平和愛好民族なのです。ところが
素戔嗚尊が朝鮮からやって来てすぐに日本を征服したが、それがまた神武天皇に征服されてしまった。大和民族はこの二つの民族の下積みになって判らなくなってしまった。日本を支配したのは朝鮮、支那の民族であって日本民族はずっと支配されてきた。朝鮮系は素戔嗚尊から三代を経て大国主命になったんですが、いままでの日本の歴史とは朝鮮系と支那系の天下の「とりっこ」であって日本人の行動は出てない。いままで人民の歴史がなく、特権階級の歴史だったのはそのためなのです。これから人民の歴史ができるんです。
御光話録
大和民族は天照皇大神の系統です。瓊瓊杵尊についてはいまは言えない。これは神秘中の神秘です。血統が違っても霊統は連なるもので、ちょうど宿命と運命のようなものです。大和民族は絶対戦争をしない民族なのですが、この日本へ他から好戦人種がやってきて、それがいつの間にか日本の歴史を作ってしまった。結局いままでの歴史は権力の奪い合いだったのです。
御光話録
また、素戔嗚尊に征服されたころに作られたのが天津祝詞で大和民族系統の神様が作られたとされています。
言い換えますと、天津祝詞は、その穢れを払う為に作られたという事になります。
そしてメシヤ様が仰られる大和民族とは、この出雲神族のことではないかと拝察させて頂けます。なぜなら上記御教えを拝読いただければ御理解頂けるものと思います。
出雲神族とは、御教えの出雲族ではございません。
約4000年前にクナト王をリーダーとしてドラヴィダ族が日本へ移住してきました。
ドラヴィダ族は母系社会のため、女性の立場が上で、争いを好まない人種だそうです。
縄文時代はこの出雲族がもっとも多く、日本語もドラビダ語(タミル語)が混じって日本語が出来たそうです。
猿田彦命様は天照大御神様であるも参照していただければと思います。
また、ドラヴィダ族が何故日本にやって来たのかは、「初代 スサノヲ」表博耀さんの本を参照させていただきます。
ドラヴィダ族は非アーリア人(ツクヨミ系)であり、スサノヲの末裔のアーリア、シュメール、エジプト、ユダヤ系白人種に追いやられて縄文時代の日本に入って来たとされ、先住民の人々を豊かにして出雲の王になり日本最初に連合王国を築いた民族とされています。ここで、月読?となるのですが、インドでアマテラス系氏族とも融合していると考えられ、となりますと、日と月で共に日本に渡ったのではと拝察されます。
そしてウガヤフキアエズ王朝とは、その古代出雲族が統治した地域の国々だそうで、スサノヲは徐福でニギハヤヒと名乗り和解と見せかけて次々と出雲人を殺傷し、クナト大神の信仰は隠され、記紀の創作によってクナト神は伊弉諾に、幸姫命は伊弉冉や瀬織津姫に変えられ、古代出雲族の正統な歴史は封印されたとあります。また、神社での御祭神が猿田彦大神、大物主大神など大神とつく神様や、三つ鳥居は出雲系で縁が深いのが熊野で、元々はクナト大神を氏神として祀っていたのが熊野神社で紀伊の熊野に勧請され、出雲王家の富氏が熊野大社に移り住んだそうで、出雲大社もそもそも出雲王の大国主の祟りを鎮めるために造られたとあり、出雲の一宮は出雲大社ではなく、出雲の熊野神社とのことです。
更に興味深いのは、ドラヴィダ族の後からユダヤ系の徐福集団が出雲族を制圧し、天孫族を名乗りヤマト政権を取った。とのことで、実は研鑽で判らなかったのがこの天孫族という意味でした。
メシヤ様は天孫族は支那人と仰せになられていますので、盤古系なのですが、歴史研鑽ではずっと分からないままでした。しかし、本には神武天皇のモデルはスサノヲ(徐福)の孫の海村雲(アメノムラクモ)だということが書かれていたのです。御教えでは、スサノヲ=出雲族ですから、御后が支那系であるともとれますし、天孫族と名乗りとありますから、名乗ったのかもしれません。
なぜなら下記の御教えがあるからです。
天孫民族といふのは作ったもので、嘘である。(モーゼの裏十戒)S23.12.3
講和集(補)
天孫民族を名乗った、と受け止める事ができます。歴史を研鑽させていただきますと、スサノオが系譜を乗っ取ったと思われる箇所もあるので歴史は複雑のようです。
そして上記の歴史は、御教えでは素戔嗚は三代ございますが大体2600年前とすると、書籍と照らし合わせますと三代目の建速素戔嗚尊様の事かなと推察させていただきました。何故ならば三代目は大国主命ですと御教えにあるわけですから、大きな国の主となられた、統治をされたことを意味するのですから。
また、そうなりますと最後の天照天皇が饒速日命様であることにも繋がります。
饒速日命様が御祭神であられます、磐船神社では九州高千穂から本殿へ猿田彦命様が龍神10柱と共に瞬時にお出ましになられました。
そして先日、ある研究者や皇族関係の方々が本当の天皇は饒速日命であり、別名イエスキリストだと仰っておられました。イエスキリストも深い意味があるようです。いずれ明らかになる時が来るのでしょう。
当教会の御神体から歴史を判らせて頂いた深い意味が、今になって明らかにされ、それは去年では御神事で深く研鑽する時間もなかったのでありますが、振り返ってみますと、物凄い情報量でございまして、研鑽し、文字にするのには時間がかかりそうですがコツコツと進ませていただきたいと思います。
メシヤ様が極秘の御神事をされていた背景や、ストーンサークルをこの時期に解らせていただいたことを拝察させていただきますと、大事なものは時期が来るまで秘しておられるという事を解らせていただけるのではないかと思います。